鳥辺野(とりべの)

 

鴨川より西側の、阿弥陀ヶ峰(山頂には、豊臣秀吉の墓所の豊国廟がある)北麓の清水寺の南西で、北の蓮台野(れんだいの)、西の化野(あだしの)と並ぶ東の墓地・葬送の地となっている

 




新熊野神社を出て南に1ブロック歩き東へ住宅街を上がったところに、疳の虫に効くとクチコミで広がっている剣神社があります。 

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剣神社


なぜかトビウオの絵馬、そしてどこかに剣が埋まっていると言ういわれ、そして子供の守護神。謎が残る神社です。祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、邇邇藝命(ににぎのみこと)、白山姫命(しらやまひめのみこと)  ⊳詳細

 

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剣神社をあとにしてすぐそばの川、音無川に橋がかかり、その橋を覆うかのごとく枝垂桜が見事に紅葉(黄葉?)していた。この桜のカーテンが鳥辺野への入り口です。


この道の両側には、もみじが重なるようにあります。坂を登れば静かな住宅街、そこを通り抜ければ、進むほどに草深くなり、そこはかとなく哀れが漂う世界へと...

 

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鳥戸野陵<とりべのみささぎ> 石段には苔が、びっしり。 

 

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「お気をつけて」と宮内庁の立て札がありましたImage139

途中でふり返り、先に市内が見えます

  

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かの清少納言が仕えた、藤原定子(一条天皇天皇皇后)様が眠っておられます。若干24歳で亡くなられたといいます。時はちょうどのちに栄華を極める藤原道長が次第に政治の実権を取っていくタイミング。父が亡くなり、兄が事件を起こし大宰府に流罪、定子が頼れるのは一条天皇のみとなる。1000年秋難産のあおりで24歳で子供たちの成長を見ることなく崩御。


     夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙のいろぞゆかしき


                       藤原定子

私が死んだ後、恋しがって流す貴方の涙の色が知りたいですと最期に詠んだ。枕草子にも書かれているように知性があって、みずみずしく、美しいお方だったとのこと。

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「そこはかの哀れの空間」を後にして振り返りの図。鳥戸野陵の関連記事はここでどうぞ。この地は天皇家や、豊臣秀吉のお墓、親鸞上人の荼毘所としても有名なところ。特に豊臣秀吉にあっては東山連峰のひとつ阿弥陀ケ峰にと遺言されていたほどの場所です。

                   2007年11月6日

 

 

鳥戸野陵

JR・京阪「東福寺駅」下車、東1.5km。市バス「泉涌寺道」下車、東1km。
今熊野観音寺からは橋の下の道すぐ。
東山区今熊野泉山町