京都に負けないまちにしろ!

の号令のもと、西の京として繁栄の極みを迎えたのは、31代当主大内義隆のころ。事実、山口の街づくりは京を真似たつくりになっている。その大内文化の象徴ともいえるのが国宝・瑠璃光寺五重塔です。境内は香山公園と呼ばれている。


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国宝・瑠璃光寺五重塔

山並が迫り、緑に囲まれ、前面に池を望む...誠にもって美しい光景です。 京都にもこれだけの「絵」はそうそう無いと思いました。そして驚いたことに瓦じゃなく桧皮葺(ひわだぶき)といって、ヒノキの皮で葺かれていること。命がけの葺き替えが数十年に一度行なわれるらしい。 

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全 国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。

ちなみに、日本三名塔の他2基は、法隆寺と京都府醍醐伽藍町にある醍醐寺にある五重塔です。また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と広島県の厳島神社、そして奈良県の長谷寺があります。

でも、実は少々入り組んだ事実があります。もともとこの地には応仁の乱で破れた25代当主大内義弘が香積寺を建立した。その義弘を弔うために弟の26代当主大内盛見が五重塔の建設を開始し、盛見死期の1441年に完成した。

その後、毛利輝元が1604年に香積寺を萩に移し、五重塔だけが残り、そしてなんと皮肉なことに大内氏を滅ぼした陶氏(すえし)ゆかりの仁保瑠璃光寺を移転した。これが現在の瑠璃光寺である。

歴史が描く因縁とは裏腹に、時が流れて「滅ぼした側」と「滅ぼされた側」のゆかりの建築物が同居している。子孫たちは複雑だよねぇ、おそらく。

推測するに毛利さんが言わんとするところは「山口を愛したあんたら、力あわせてこの地の守り神となりなさい」みたいなところか? でも単に五重塔を移転するのに市民全体大反対だったということみた
い...


                      2007年8月19日