日本の地を踏み、長崎平戸に部下を残し山口へ、その後都をめざしてザビエルさんは進んだが、その当時の京都はとんでもなく悲惨な状態で、その上、手土産がなかったら朝廷にも会えないという事情で残念し、楽しみにしていいた比叡山での高僧たちとの討論も断られ、やむなし山口に戻って大内氏の計らいで布教を許された。


そして、ザビエル本人が布教活動をした町が‘やまぐち’だった

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二代目のザビエル記念館です。 



山口市内観光の行程

斬新すぎて、漏電のため火災にあった前の記念館のほうがいいとの声もあるようだけれど、純白の外観と、芝生、空の青が見事にマッチングしていました。

ザビエル記念館・HP

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ローマ法王さんからいただいた鐘だそうです。

自由に鳴らしていいとのことなので、大きく1回、小さく2回鳴らしてみました。 日本の鐘とは違って、平べったい音というか、なんともやさしい音色でした。


山口と大分で布教活動のあと、日本に大きく影響を与えた中国を目指し旅立ったザビエルは、ポルトガル船の停泊地であった中国、広東省の上川島で生涯を終えるのですフランシスコ・ザビエル享年46歳。  


ザビエルさんの言葉にこういうのがあります


   この国(日本)の人々は今までに発見された国民の中で最高であり
   日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう

                    フランシスコ・ザビエル



この言葉に恥じることの無いようにありたいものです


                      2007年8月19日