🔷豊浦を歩く後編 ⊳前編
豊浦という地は飛鳥の西側、飛鳥川の左岸にある。
豊浦に『豊浦寺』あり、日本最初の寺(創建年の解釈によっては飛鳥寺に次ぐ2番目のお寺となる)とも呼ばれ、当時は飛鳥五大寺の一つにも数えられた。
「日本書紀」の記述では552年、百済の聖明王から金銅の釈迦仏などが献上された際のこと。
物部氏や中臣氏らの反対を抑え、蘇我稲目が向原の自宅「向原の家(むくはらのいへ)」に持ち帰り、それを寺として安置したことが日本仏教の始まりとされている。
🔷豊浦寺
今は向源寺としてひっそりと
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豊浦寺跡の石碑
ちょうど向源寺の前にある。大正時代に造られたようだ。
この地「豊浦」で後に推古天皇が即位される。
603年に「小墾田宮」へと移られるが「小墾田宮跡」は、現在の豊浦寺跡からたった200mほどの距離にあるのだ。
百済の聖明王から贈られた金銅の釈迦仏を、物部尾輿が投げ込んだとされる「難波池」
そしてその仏像は、この地を通りかかった信濃の国の本田善光という人物が発見し、長野の善光寺に祀られたという。
難波池の話は善光寺の由緒↑で確認できる。
伎楽伝来の地
ちょうどこの池の傍、弁天さんの祠の真裏にこのような石碑がある。
伎楽(ぎがく)とは、古代チベットやインドの仮面劇のことであり、西域を経て中国に伝わったのちに韓国を経て日本へ。
⊵伎楽飛鳥時代の芸能について
明日香村 のマンホール
村の花「橘」の花と葉っぱがデザインされている。
難波池から南へ歩くと左手に「すすぎの滝」という石標が
あら、水がない...
このすすぎの滝、難波池に投げ込まれた金銅仏はこの瀧で洗い清められたという。
さらに南へ、栗の木が緑鮮やかな実をつけている。後ろには「すすぎの滝」の石碑が見える
神前の朝一の花はもうすでに
坂道に浄土宗 西念寺とある。
豊浦寺金堂跡
咲いているのはコオニユリ?
質素な本堂
推古天皇 豊浦宮跡
散歩中に見つけた立派なベゴニア
この花なんだろ?
⊳2022年追記
グーグルレンズで調べることができた「初雪カズラ」という。
最期に向源寺前にあった句碑を見てみよう
明日香川 行き廻る岡の 秋萩は
今日降る雨に 散りか過ぎなむ
丹比真人国人
解説⊵万葉集の風景
いつ襲われるかわからない時代においても、歌を詠む余裕を持つ粋な人たちは、このころからいらしたのだ。
それも尼寺での宴の折にという、これまたなんともロマンチックな話である。
おそらく日本の仏教は記録上この地からスタートしたようである。
大陸から渡来した人々たちが仏教美術や仏法を持ち込んだのだろう。
たとえば難波、たとえば北九州、たとえば丹後半島でも小さなスタートはあったかもしれない。
そして歴史に名を残した蘇我一族のことをもう少し知ってみたいとこのとき思った。
2011年7月26日 朝の散策にて
この日の朝の豊浦散歩 MAP↑
第4回奈良 勝者と敗者の聖地2011.7.26の行程
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