井出町上井手「左馬ふれあい公園」に数百トンの花崗岩に刻まれた半肉彫りの左り馬がある。 

🔷左馬


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旅 103
見事な立体感。しゃがんで見上げる形で見ることが出来る 

旅 102
この巨岩(駒岩)の右下にある。

元来はすぐ岩の左側を流れる玉川の左岸山腹にあった雨吹龍王祠(水分神社)に鎮座していたもので、雨を願い玉川の水を治めるために祈る絵馬としての意味を持つ駒岩だった。 

それは大昔のことで、現在は「女芸上達の神」つまり女性の習い事の一つである裁縫や茶法、生け花、ひいては舞踊などを志す人の守り神として、信仰の対象になっている。

駒岩はは昭和28年の大雨で山の中腹からころがり落ちてきたという。

左馬ふれあい公園」には案内板が二つあるのだが微妙に内容が違っている。読み比べてみてほしい

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ではなぜ左馬(ひだりうま)と呼ばれるのか? 

⊳左馬とは

このように象形文字にしてみればわかりやすく、将棋の駒の縁起物「ひだりうま」には合致する。駒岩とよばれるところから、将棋の駒からの引用も考えられる。

ではそれがなぜ「女芸上達の神」となったのだろう?

馬の右半身が彫られたこの岩を見て、当時一般的に右利きの人なら馬の左半身を描くといわれていた。

『左利き』=『器用』『うま』⇔『まう(舞う)』などを連想し、江戸時代には女芸上達を願い『芸事の神様』として信仰をあつめた...」と、あるサイトでは表現している。

ではなぜ「女芸上達」ようするに「女芸」限定なのだろう???


🔷弥勒石仏 

旅 105
井手町の東側の山すそに広がる広大な竹林。そこでは竹の子のために職人さんが土の手入れをされていた。

車で行けるには行けるが、デコボコ道がけっこうひどく不安になって、少し手前の老人福祉センターあたりに停めて歩いた。

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何か出そうな感じの竹薮「行くな」と言ってるかのごとく荒れたけものみち、不安になる。 

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やっと岩が見えてきた 

旅 108
右側の像は錫杖を持って連弁の上のお地蔵様、写真左側は像高1.2mの地蔵立像とのこと。

もう一つ、左側にも彫られているとのことだが、目視できなかった。 

井手町、行く先々で印象に残るのは「竹」だった。

特に井手町東側の山裾は見事な竹林があり、管理もされている。次回に紹介する「橘諸兄公旧跡」周辺は特に美しかった。

生前に正一位にまで上り詰めた僅か6名のうちの一人、橘諸兄とはどのような方だったのだろうか...葛城王との記載もあるが、、、 

  2011年4月4日 参拝



綴喜郡井手町 2011.4.4の行程MAP


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