河内三太子の最後は八尾市「大聖勝軍寺」町の名もそのまま「八尾市太子堂」という。
かつてこの地は「渋川の阿刀」と呼ばれ皮肉にも仏教の導入に反対したと伝えられる物部守屋の別宅があった場所だ。
そして、この地こそが 蘇我 vs 物部 の激戦の地でもあるのだ。
大聖勝軍寺は、他の太子の縁の寺よりも「太子の匂いを強く感じる」と言う人が多いのも特徴だ。
🔷椋樹山(りょうじゅざん) 大聖勝軍寺
聖徳太子御遺跡霊場二番札所
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聖徳太子古戦場とある
太子と四天王
この寺でいう四天王とは
持国天(蘇我馬子)
多聞天(秦川勝)
広目天(迹見赤檮)
増長天(小野妹子)
山門
手水舎
神妙椋樹(しんみょうりょうじゅ)
山号「椋樹山(りょうじゅざん) 」の由来となった出来事を表している。
物部討伐軍に参戦した聖徳太子が物部軍に追われたとき、椋(むく)の木が二つに割れて皇子の身をかくまったというのである。その椋の木が神妙椋樹として境内に祀られている。
推古天皇は椋樹と大聖聖徳法王の勝ち軍を讃え、神妙椋樹山大聖勝軍寺という山号と寺名を授けられた。
救世観音と平和塔の屋根。平和塔には物部守屋と聖徳太子が共に祀られている。
太子堂
太子堂内、植髪太子蔵。すぐそばで見れるのがうれしい。
毘沙門堂
聖徳太子らは信貴山で戦勝祈願をし、再度出陣。稲城攻略の際、神わざの働きをする者がおり、驚いた小野妹子が「いかなる化身なるや」と尋ねたとこ
ろ「南無多聞天」と言いながら、身の丈六丈の毘沙門天と化し、紫雲に乗って信貴の山に昇天された。 感激した聖徳太子は、毘沙門天を刻み、毘沙門堂に祀ったと伝えられている。
後ろの龍といい、脇の人たちといい、すばらしくリアルな不動明王「一願不動」
胎内には、大聖勝軍寺千年来の秘仏である大聖不動明王像が納められているそうだ。この一願不動に一つだけの願いごとを一心に祈願しよう。
たくさんのお地蔵様
地蔵堂
椿が美しく色を添える
上中下と三つの太子の寺を見て、その感触はそれぞれ違っていた。
自分の目で見て、空気に触れて、心をトランス状態において感じてみたままの上中下
の感触を、あえて言うならば「安楽」「備え」「緊張」といった言葉で表しておく。
歴史の真実について私には、まったくといっていいほど確信はない。いつもいつも分かりかけたと思ったところで、謎がまた現れる。
この記録を書くために調べていると、ある人のブログで、大聖勝軍寺にある厨子の中で、戦ったはずの太子を守るように剣を構える守屋がいたという。まったくもって?だ。
二人が眠る場所は「平和塔」昨日の敵は今日の友と思いたい。
2011年1月18日 参拝
近つ飛鳥 羽曳野と八尾 2011.1.17-18の行程MAP
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