🔷伊部天津神社 後編 ⊳前編

千年の歴史を持つ備前焼は須恵器の流れを汲んでおり、鎌倉時代から本格的に焼かれ、安土・桃山時代には茶陶として隆盛を極め、多くの名品を生んだ。 

その須恵器と同時期には土師器(はじき)というのがあるが、その違いについて詳しいことは↓を参照



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土師器の語源は、陵墓管理及び土器や埴輪(はにわ)の製作などをした古代の氏族、土師氏に由来する。土師氏はのちに菅原道真の一族の流れを産むことになる。

次回の旅では、そんな菅原道真が生まれたとされる「奈良市菅原町」を訪れることにした。

一方須恵器の語源は「鉄」は朝鮮語で「スェ」と発音するので「まさに鉄のように硬い」から須恵器と呼ばれたという説が有力だ。 

須恵器は、このあと平安時代まで人々の生活に密着することになる。日本古代の土器について、少し知識を入れて「伊部天津神社」の後編へ 

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二つ目の神門

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立派な拝殿の唐破風の拝殿

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こちらはお猿さん

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振り返って、今くぐったばかりの二つ目の神門の屋根を見る。

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拝殿

あれこれと盛り沢山な仕掛けのある参道のため、やっとのことで神と向かい合う場所に来た。

ここがなんとも落ち着くというか、なんと言うか...慣れ親しんだ近所の喫茶店、子供の感覚で言うならば「駄菓子屋」の感覚だ。

ここに次々やって来る近所の人たちどうしが互いに、一言二言会話を交わす。コミュニティの場でもあり、憩いの場所ともなっているようだ。

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拝所の左手上部にある空間に大きな矢が 

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本殿

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ぶら下がってる灯篭にある家紋は五三桐だと思う。

古代中国では、桐の木は想像上の「鳳凰」が来て「聖天子誕生、聖天子誕生」と鳴くめでたい木とされていた。

そのため桐は聖天子のシンボルとな り、 日本の皇室でも菊の紋章と並んで桐が副紋として使用されるようになったという。

五三桐は菊紋についで名誉ある紋として尊重され、後醍醐天皇から足利尊氏が賜っている。皇室が臣下へ、さらに下賜された武将がその臣下へ与えるというかたちで徐々に桐紋が増えていった。

また豊臣秀吉が家臣に与えたことなどから、どうも西日本に多く見られるようだ。

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本殿の裏には「備前組七福神」

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イアン・ソープのような誰か(笑)とねずみ

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地主神とひつじちゃん

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このほか、八坂神社(スサノオ)、神武天皇社、稲荷社が並ぶ。あと少し離れたところに伊部稲荷というのもあった。

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忌部稲荷 ⊳詳細

この先に忌部神社がる。この日は行かずじまい、知らなかったのだ。恥ずかしい。

祭神は忌部氏の祖先である天太玉命、社殿は伊勢神宮より頂いたものだ、まさに伊勢神宮にある各社殿の、いで立ちそのものだ。詳しいことは↓のサイトを参照。



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何か物悲しいお猿さん。

毎年行われる「備前焼まつり」は楽しそう↓にリンクを貼っておく



インベ、この珍しい響きの名前は氏族的職業集団として、中臣氏と同レベルの勢力を誇った忌部氏の名称が転じたものと言われている。

かつては独立した町「伊部町」だったが、1951年に片上町と合併、現在の備前市となった。

  2011年2月1日 参拝



備前 和気と虫明 2011.2.01の行程MAP


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