播磨国とは
東は神戸市須磨区、西は赤穂市、北は三木、小野、西脇、神戸市北区淡河、そして南は瀬戸内海になる広いエリアだ。その広大なエリアで一宮と呼ばれるにはよほどの由緒があるということ。
『播磨国 一宮 伊和神社』宍粟市一宮町
国道29号線沿いに参道の入り ...
2011年01月
続 たつの市をゆく その⑤『てんかさま~馬立古墳群~栗栖池』
てんかさま
ネーミングに何か惹かれるものがあって、ついつい案内板を追いかけて山際へと車を乗り入れてしまった。軽四でやっとなので、普通車では、すぐ前までは行くことは厳しいと思うから気をつけて。
悲運な人生を送った藤原定家の姪である越部禅尼のお墓ということ ...
続 たつの市をゆく その④ 『寝釈迦の渡し~觜崎磨崖仏』
晴天はことのほか気持ちよく、すこし窓を開けながら映画「オー・ブラザー!のサントラ!」を聴きながらのドライブは幸せだ。ちなみにこの映画のサントラは2001年グラミー賞“Album Of The Year”他関係6部門を受賞した快作。お気に入りの一枚。
車は揖保川の東側の堤防沿 ...
続 たつの市をゆく その③ 湾岸250号線を西へ『絶景!万葉の岬~鰯浜荒神社~相生ど根性大根を奉る西法寺』
前回(2010.12月22日 雨)と同じく250号線を西へ、相生方面に走る。今回は快晴、最高の湾岸ドライブを楽しむ。 大浦海水浴場<2021年2月現在閉鎖>を過ぎ、松が生い
茂る半島「赤松鼻」そして次の大きな半島が万葉岬」枝道が現れて、そこに「←万葉岬こちら」という立て札に ...
続 たつの市をゆく その② 『新舞子浜、美しい!朝日に映る干潟』
ある写真家のサイトで見て以来、虜になってしまった場所、御津町新舞子浜まだ、写真が未熟なため思うように感動は絵に出来ていませんが、たくさん撮ってきたので、その中でいいのをいくつか...
たつの市 御津町 新舞子浜
東の空の濃いピンクと、闇にうっすらと浮か ...
続 たつの市をゆくその① 『新舞子浜の夕日~網干なぎさ公園 工場ライトアップ』
年が明けて、天気予報と相談しながら正月の旅日程を決める。今年の正月は「冬の嵐」かも知れないとのことだから慎重になる。出発は1月4日だ、日没に間に合うように車を神戸から西へと走らせた再び「たつの市」へ、新舞子浜に行く。
雲が多いが、水平線近くに晴れ間があ ...
たつの市をゆく 最終章 城下町散策 後編 『如来寺~小京都の風情』
たつの市を南北に流れる揖保川、その西側に城下町は広がる。龍野城と本丸御殿を見たあとは城下に降りて町歩きを、雨がやはり少しきつくなって来たがこれもまた良しと...
如来寺の柳
山門
たつの城がある鶏籠山を借景に疎水に沿って建つ龍野藩主脇坂氏の菩提寺、 ...
たつの市をゆく その⑥ 城下町散策 前編『霞城と呼ばれた 龍野城は今は麓に』
たつのの街は、戦災で焼けなかったので、古い町並みはそのまま、かつての城下町の名残をたっぷりと見ることができる。
龍野城 別名「霞城」元は赤松氏、のちは城主は転々とするが有名ところでは「蜂須賀正勝」「福島正則」「京極高和」そして武士の時代が終わるまで、かの ...
たつの市をゆく その⑤ 『海鮮トマト塩焼きそば~735年行基が開基 宝積禅寺』
道の駅みつ(御津)魚菜屋(ととなや)
道の駅みつホームページ
室津から250号線を東に走ると、国道沿い右側にある。サイトを見たらワクワクする企画や食事が盛りたくさんあるので、予算と時間があれば是非お勧めする。貧乏旅の私としては姫路食博2010「B1グルメ」にチャレン ...
たつの市をゆく その④ 摂播五泊のひとつ 遊女発祥の地 室津 後編 『シーボルト絶賛景観 賀茂神社』
境内を奥まで歩いて突き当たりに参籠所(さんろうしょ)がある。シーボルトがそこから見た海。⊳参籠所の絵 ⊳賀茂神社境内の絵播州名所巡覧図絵にある室津の絵↑そして賀茂神社境内の絵をよく見ると「建築上の真の名作」とシーボルトをして言わしめた多宝塔が描かれている ...
たつの市をゆく その③ 摂播五泊のひとつ 遊女発祥の地 室津 中編 『豪華絢爛 賀茂神社』
京都上賀茂神社直系の御厨(みくりや) 賀茂神社 別名室明神社室津の歴史を飾るさまざまなエピソードや文化がここに残る。船で来れば室津港の一番南にあるため、自ずとこの賀茂神社をめがける形をとることになる
隣接するのは室津小学校。青いのぼりが目を引く
棚尾社 ...
たつの市をゆく その② 摂播五泊のひとつ、遊女発祥の地室津 前編 『室津港と見性寺』
行基が開いた摂播五泊(5つの港)のうちのひとつ、歴史深き「室津」に行ってみよう。250号線を相生に向かって海岸線を走る。神戸市の長田起点のこの国道は岡山まで続いている。
摂播五泊とは河尻(尼崎)、大輪田(兵庫)、魚住(明石) 、韓(姫路)、室津の五泊です。
250 ...
たつの市をゆく その① 『旅の前に知っておくべきこと 』
たつの市に眠る野見宿祢(のみのすくね)菅原道真の祖先でもある。
垂仁天皇の命により、當麻の地の豪腕「當麻蹶速(たいまのけはや)」と相撲をとり、勝利し當麻の地、二上山の支配権を當麻氏から奪い取った。この話が野見宿祢が「相撲の神」と云われるようになった由来であ ...
二上山の裏と表 最終章 表 葛城と御所にて~日本の礎ができた時代『飛鳥考察』
飛鳥という地名の由来ははっきりしない。
アスカには石原や岩塊の意味があって、アスカベやアスカイには水溜まりや池の意味がある。また、アスカには鳥の翼とか、羽などの意味もある。
アスカという地域で代表的なのが、大和の飛鳥(明日香)、そして羽曳野を中心とする河 ...
二上山の裏と表その⑧ 表 葛城と御所にて~奈良の都、西の要所の地 『長尾神社』
葛城にある伝説
むかし、大和に大きな蛇が住み、三輪山を三重にとりまき、その尾は長尾までとどいた。三輪明神(桜井市)が頭で、長尾神社はその尾にあたると言われている。
また、竜が住んでいたともされ、竜王社(大和高田市)は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾にあたると ...
二上山の裏と表その⑦ 表 葛城と御所にて~くじらという町の山の神 『上津賀茂 鴨山口神社』
前回の御所入りで参拝した下鴨社(鴨都波神社)に対して、上津賀茂と呼ばれる鴨山口神社を訪れてみた。 上加茂としては高鴨神社と思っていたが、高鴨神社は『全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称する』ということらしい。『 鴨山口神社』住所は、櫛羅(くじら)小字 ...
二上山の裏と表その⑥ 表 葛城と御所にて~南朝に馳せ参じた檜原一族たちの身代わり千体石仏 『九品寺(くほんじ)』
今回の葛城・御所入りは、前回の見落とした場所と新たなスポットの二本立て。
『九品寺(くほんじ)』 前回スルーしたスポットだ
山門
山門をくぐってすぐ左手に『観音十徳園』なる簡易西国三十三箇所めぐりがある。
入り口の植え込みに隠れるように狛犬が待機 ...
二上山の裏と表その⑤ 表、葛城と御所にて~大和国一の稲の神『中鴨社 葛木御歳神社(みとし-』
大阪府南河内郡太子町から竹内街道 / 国道166を通り奈良県御所市へ前回の訪問時に参拝した「高鴨神社」、そして下鴨と言われる「鴨都波神社」に対し「中鴨」といわれる「葛木御歳神社/みとし-」へ朝の参拝に向かう
朝早いからか電気がついてた。
手水社は天然の水を ...
二上山の裏と表その④~裏 太子町にて~『古道竹内街道と南河内グリーンロード展望台』
古代の国道1号線とも言われる、日本最古の官道の「竹内街道」というものがある。 堺市の大小路から松原市、羽曳野市を経て、太子町、竹内峠を
越えて奈良県當麻町の長尾神社までをいう。今回の旅の行程はその中にスッポリとはまり込む。太子町から西はまた次回として..詳 ...
二上山の裏と表 その③ 裏(太子町磯長谷)にて~王陵の谷を歩く
二上山の西側には歴代天皇の墓も密集している。一度奈良で葬られた跡、あえてこの地、太子町周辺に再度葬られることになった方もいる。やはり奈良の都からして西方浄土の方角ということなのだろうか そんな磯長谷を「王陵の谷」と呼ぶ。このたびも数名の天皇稜に行ってみた ...
二上山の裏と表その② 裏(太子町)にて~聖徳太子の三人の乳母が眠る 『日本最古の尼寺 西方院』
大きな叡福寺の真向かいの、細い坂道を上がると小さな寺がある。元は叡福寺の塔頭の一つで法楽寺と称した。
南向山 西方院 浄土宗振り返ると叡福寺が見える
聖徳太子の死後に、その乳母であった月益姫、日益姫、玉照姫(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘とされ ...
二上山の裏と表その① 裏(太子町)にて 『叡福寺 聖徳太子御廟』
今回の旅は、奈良と大阪の県境にあるニ上山の西と東を巡ってみる。かつて奈良側からしてみればニ上山の向こうは黄泉の国、亡くなった方を葬る場所としてみていた事実がある。では二上山の西側(大阪側)はどうだろうか? どんな空気が漂っているのだろうか?
まずは町の名 ...