石舞台の少し先で左手「多武峰」右手「吉野」という三叉路に出る。この旅の終盤は、かつて持統天皇をはじめ数々の天皇が吉野 宮滝宮に行幸の際、歩かれた道を走ってみる。俗に言う「奥明日香」と言われる場所である。右折してすぐは「祝戸(いわいど)」という場所、このあた ...
2011年08月
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑧ 桜井市吉備『日本初の国立寺 飛鳥時代最大の百済大寺はここか』
日本初の国立寺院「百済大寺」については謎のままであったが平成10年に、高さ100m級と推定される塔(九重の塔)の壇跡が見つかり、百済大寺は吉備池廃寺で間違いないと発表された。すべてが解明されれば飛鳥時代の寺院として最大級となる。⊵百済大寺と吉備池 池の堤 ...
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑦ 橿原市『日本史上最大の都城 藤原宮跡』
🔹日本史上最大の都城 藤原宮跡へ 900m四方の広大な緑は、大和三山のほぼ真ん中に位置する。 周囲にたくさん駐車場があるが橿原市藤原京資料室(現在地マーク)に停めて徒歩で東に向かう。 この位置は天皇が住まわれていた内裏の真ん中~大極殿よりにあたる。この写 ...
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑥ 橿原市『ルーツオブ薬師寺 本薬師寺跡』
西の京の薬師寺、元はといえばこの地「藤原京」にあった。そして西ノ京に移転した後も、藤原京の薬師寺はその伽藍の一部を残したまま、平安時代前期までは存続していたという。 すぐ横(写真右手)の空き地に車を停めることが出来る。この植え込みの中が史跡となる。 ...
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑤ 仏教伝来 蘇我氏の地 豊浦を歩く 後編『豊浦寺跡と難波池』
🔹豊浦寺 今は向源寺としてひっそりと豊浦という地は飛鳥の西側、飛鳥川の左岸にある。豊浦に『豊浦寺』あり、日本最初の寺(創建年の解釈によっては飛鳥寺に次ぐ2番目のお寺となる)とも呼ばれ、飛鳥五大寺の一つにも数えられた。 「日本書紀」の記述では、552年、百済の聖 ...
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その④ 仏教伝来 蘇我氏の地 豊浦を歩く 前編『甘樫の丘の夕景~甘樫坐神社』
かつては「神なび」として神の宿る山とされ信仰された場所「甘樫の丘」。このあたりは豊浦といい、かつて蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が屋敷を構えていた場所。飛鳥寺の西、川原寺から見れば北に当たる。駐車場は二箇所あるが南側の駐車場が無料なのでそちらを利用しよう。 ...
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その③『欽明天皇陵,亀石,天武持統天皇陵,鬼の俎・雪隠,猿石』
橘寺から西へ数分🔹亀石 川原を後にして野口に入る🔹天武 持統天皇陵 天武 持統天皇陵檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ) とも野口王墓とも呼ばれる ⊵天武 持統天皇陵 刈り込まれた木の後から外周を回る細い道がある。 ほぼ一周したあたりに咲い ...
第4回 勝者と敗者の聖地 明日香村編その② 『聖徳太子生誕の地 橘寺 後編』
橘寺境内の親鸞聖人像の後から真北の「川原寺」と7世紀中期の斉明天皇が営んだ「飛鳥川原宮」跡地を望む。参照↓ 土蔵 ⊳橘寺 境内図刈り込みのきれいな木と、漆喰がの剥がれた土塀がいい味を出している。 土蔵の裏側 三光石阿字池 橘の花を象ったと言われる五 ...
第4回 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その①『板蓋神社~聖徳太子生誕の地 橘寺 前編』
昭和49年/1974年、川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏(せんぶつ)が発掘された。塼仏とは土製品を焼いたもの で、材質的には煉瓦に近い。川原寺裏山からは、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした三尊塼仏が大量に発掘されている ...
続々 奈良 勝者と敗者の聖地 ならまち奈良公園編 最終章『すばらしきかな 円成寺』
奈良市街東方の柳生街道をしばらく走る。奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)、柳生まではもうわずか、周りにはゴルフ場がひしめくエリアでもある。 忍辱山 円成寺(えんじょうじ) 真言宗御室派(総本山は仁和寺)本尊は阿弥陀如来 右手に駐車場が見えてくる、その ...
続々 奈良 勝者と敗者の聖地 ならまち奈良公園編その③『薬師寺大池の日の出ショー~ならまち散策 前編 』
7月12日 早朝 少し足を伸ばして西の京 勝間田池へ 薬師寺を東に、勝間田池(通称大池)から朝のショーを見る シルエットで浮かび上がる薬師寺西塔と金堂 空が水面に綺麗に写っている 二つの塔と金堂、そしていよいよ来る 二つの塔のちょうど真ん中から ...
続々 奈良 勝者と敗者の聖地 ならまち奈良公園編その②『二月堂の夕景』
東大寺の二月堂からの夕景を観たい。 日没までにはまだ少々時間があるのでのんびりと歩きながら、時おり腰を下ろして鹿たちを眺めたりしながら...南大門あたりはもう何度も来ているので、撮影はスルー。 二月堂参道の起点よりスタートする。 二月堂の名前の由来は、 ...
続々 奈良 勝者と敗者の聖地 ならまち奈良公園編その① 都祁の息吹 氷を天皇に献上奉る そして舞楽の源流『氷室神社』
🔹氷室神社 ⊵由緒製氷販売業、冷蔵冷凍庫の守護神。ヒートポンプ、蓄熱技術の守護神。そして興福寺東山鎮守、南都七郷の産土神とある。 南都七郷とは、興福寺別当直轄の七つの親郷(寺門郷)で、南大寺郷、新薬師寺郷、東御門郷、北御門郷、穴口郷、西御門郷、及び不開門 ...
続 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編 最終章 遥か伊勢を望む社『治田神社』
治田神社<はるた神社>は岡寺の向かい、かつての岡寺講堂跡地にある。 近年まで八幡神社と言われており、一の鳥居は岡寺参道の下にある。多くの人々は、きっと岡寺の鳥居だと思っているはず。御祭神は品陀別天皇 素盞嗚尊 大物主神。 岡寺を出ると真正面にこのような神社 ...
続 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑨ 日本最初の厄除け霊場~西国7番札所『岡寺』
天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。 江戸時代までは興福寺の末寺であった。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称する。 御本尊は如意輪観音。西国 ...
続 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑧『念誦崛不動尊~飛鳥資料館』
談山神社をあとに、明日香に戻る途中「念誦崛不動尊(ねずきふどうそん)」というのがあると聞き、行ってみることにした。 県道155から北へ「北山林道」に入る。売店の叔父さんの話によると桜井まで降りれると言うことだが、今回は冒険はやめておく。 北山林道に入って数分 ...
続 奈良 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑦『藤原氏の聖地 多武峯 談山神社 後編』
権殿の西側に小さな祠が並んでいる、それらの神々をみてみよう。 最初は目を惹く祠「比叡神社 御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)」 元々あった場所「飛鳥の大原」とは鎌足の生誕地と言われており、この旅の最初に訪れた場所、明日香村小原(おおはら)↓のこと。 ...