雨があがり、境内に明かりが灯る。 我々小市民にとって非日常な空間に、今思い出しても心は沸き立つ。 「宸殿」と「正神殿」のエリアから北側に上がる。 なだらかな高低差があるのだろうう朱のお堂・霊明殿あたりからはいい眺めになる。
真正面奥の建物は「宸殿 ...
2011年10月
大覚寺「観月の夕べ」と神護寺 その① 『雨あがりの大覚寺』
旧嵯峨御所 大覚寺 門跡。 それは前回、広沢池に燈篭流
しを見に来た折に決めていた月見の場所。 今年は満月が中秋ということ、要するに秋のど真ん中の日が満月ということなのだ。 心配な天気は夕刻より雨が降
り、大覚寺に灯りが入っても雨は止まず... 不安な中、最 ...
蘇我の町を歩く 最終章 阿部氏の祖を祀る 『若桜神社(わかざくら)』
その⑨に続き、この最終章も「曽我の町を歩く」というタイトルにそぐわないが、旅の勢いとしてこうなってしまった...。 まぁ蘇我氏のエリアの傍に、物部、安部という勢力があったということはわかる...ごり押しだな
さて、初瀬街道(国道165号線)を「吉備」から「安 ...
蘇我の町を歩く その⑩ 磐余若桜宮はここか? 『稚桜神社(わかざくら)』
少し横道にそれるが、曽我町と同じ磐余の地のくくりの中、気になる場所がある。 少し前に訪れた「吉備池」近くだ。 歴史は曽我氏が代等してくるころより130年ほど遡ることになる。
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第十七代 履中天皇は父である仁徳天皇崩御のあとの ...
蘇我の町を歩く その⑨ 天岩戸を開くべく神々の会合の地 『曽我町の天高市神社』
良く知られる天岩戸の話。 岩の中に閉じこもったアマテラスさまにどうやって出てきてもらおうか、神々が集まって相談した場所...と、言われてい
る神社が「曽我町」にある。 飛鳥川に近い「入鹿神社」のある「小綱町」から西へ700mあたり、今度は曽我川の近くに「天高 ...
蘇我の町を歩く その⑧ 初瀬街道と竹之内街道の連結の地 『小綱町の入鹿神社』
明治時代に入り皇国史観に
基づき、日本各地で数々の寺が取り壊され、神社においても都合の悪い神々は新しい御祭神へと鞍替えされた。 この曽我の地にもその波は訪れ、同敷地内の普
賢寺は廃寺になったが地元の住民の確固たる意思か、はたまた隠し隠しの偉業なのかはわから ...
蘇我の町を歩く その⑦ 情念と悲運の大歌人を想ふ 『地黄町の人麻神社』
中曽司町から東へ飛鳥川のすぐ近く地黄町(じおちょう)まで来た。 高品質な薬草ジオウが産出されたことから名がついたという。
宝亀元年(770年)石見で死去した柿本人麻呂の遺骸をこの地に葬り、その傍らに建立したと伝える社伝をもつ葛城市新庄町柿本の「柿本神社」よ ...
蘇我の町を歩く その⑥ 元橿原神宮の傍の古墳跡・石棺の蓋上に建つ 『岩神社』
中曽司町(なかぞんちょう)の磐余神社の北隣に小さな神社がある。 『岩神社』という。 ここはまさに迷宮への入り口ともいえる。 古墳の上に祠が建っているのだ。 それもあえて発掘することもなく建てたと言うから、ただ事ではない。 どんな思惑があるのだろうか...
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蘇我の町を歩く その⑤ 元橿原神宮なのか.. 『中曽司町の磐余神社』
曽我川右岸、真菅から少し北に上ったところ、中曽司町(なかぞんちょう)に「磐余神社(いわれ)」がある。 歴史背景から見ると、現奈良県広陵町百済付近を中心とした百済荘の南東隅と捉える。 とにかく「磐余」と聞けば行かないわけにはいかない。 参考≫磐余(いわれ)
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蘇我の町を歩く その④ 蘇我の聖地 『真菅の宗我坐宗我都比古神社』
曲川町から東へ曽我川を渡り曽我町に入る。 駅で言うならば「近鉄真菅(ますが)駅」、「真菅」は「金橋」と同じくかつてこのあたりが高市郡真菅村
だったことからくる。 祭祀に使われた材料で尊ばれた「菅(すげ)」は今でも曽我川に見られるという。 この菅から今でもよ ...
蘇我の町を歩く その③ 曲川町に安閑天皇のまぼろし 『金橋神社は蔵王権現か?』
雲梯(うなて)町から曽我川を下る。 曽我町のエリアに入り、曽我川の左岸(西側)「曲川町(まがりかわちょう)」に目を向けた。
このあたりはかつて27代・安閑(あんかん)天皇の宮跡地と言われていて、その名も「安閑天皇勾金橋(まがりかなはし)宮跡」。 「勾(まが ...
蘇我の町を歩く その② 『木葉神社..かつて雲梯(うなて)の浅間権現・初穂寺なり』
雲梯(うなて)の川俣神社を出て、橋を渡り曽我川の西側堤防を南へ下ること数分。 右手に「木葉神社」がある。 この神社が元来の川俣神社に比定されている古社であり、先ほど参拝した現川俣神社は高市御縣坐鴨事代主神社に比定されている。 何か不自然だ。
「川俣」という ...
蘇我の町を歩く その① 『宇奈提の神奈備・そう雲梯(うなて)の川俣神社』
『出雲国造神賀詞(いずも・くにのみやつこ・の・かむよごと)』というものの一説ににこうある...皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」と。 詳しくは≫『出雲国造神賀詞』
そこにある「宇奈提(うなせ)」は橿原市「雲梯(うなて)」とされる ...
奈良と京都の送り火 8.16京都 最終章 五山送り火と広沢池灯篭流し 後編 『大覚寺門前町~広沢池』
野宮神社から北東に約1km、大覚寺の参道に入る。 そこは嵯峨大覚寺門前登り町という。
民家の二階の軒下に大きな弓矢のようなものが...
模様として源氏物語絵巻の中で象徴的に用いられたことから「源氏車」という呼び名が定着しているようだが、御公家 ...
奈良と京都の送り火 8.16京都 その④ 五山送り火と広沢池灯篭流し 前編 『嵐電嵐山駅~野宮神社』
嵐電(らんでん)にて嵐山に来た。 足湯のあるホームに降りて、雨上がりの賑やかな駅前に出て、北へ向かう。 目的地は広沢池だから直線でも3km以上はある。 まぁ日暮れまでは時間があるのでのんびりと歩こう。
世界文化遺産・天龍寺を過ぎたあたりから歩 ...
奈良と京都の送り火 8.16京都 その③ 清水寺千日詣・後編 『B面の清水寺~最古の縁結び社・地主神社』
奥の宮からさらに南へ遊歩道が続く。 一番端の折り返し地点あたりにごらんのようなシダの生えた山肌があった。
このようなシダが群生していたのが、奥宮からここまで歩いてくる途中の左手の山の斜面の上部にあたる場所で、約10mほどの長さに渡り生い茂ってい
た ...