🔹多聞寺 

平家 福原京の北面の守護寺、創建は大化の改新直後で、法道仙人の開基とされてる。

その後やや荒廃したが、九世紀に高野山の僧侶「長善阿舎利」により再建され真言宗となったと言われている。当初の所在地は現在の地より1.5キロばかり南の「古寺山(標高636m)」というところである。



六甲山 真言宗 多聞寺



画像 001
「平清盛公祈願所」と街道に面したところに石票がある。 

清盛は京で鞍馬山が果たした役割を担わそうと、寺領を与え、鞍馬、八瀬の大原の人々を移り住まわせたと伝えられている。 

村の言葉はみやこ言葉が使われたそうで、唐櫃村の女性は、大原女の様に、頭に山の幸や、薪を乗せて六甲を山越えして商いに行ったと言われている。

画像 002
1462年、本堂裏にそそり立つ一本の杉に夜ごと灯りがともるとの噂が広まり「この場所こそ霊地に違いない」と北区八多町附物にあった奥蔵院(法道仙人開基、豊臣秀吉三木攻めで焼失)の院主長算と有馬温泉寺の僧重盛らによって、古寺山から現在の地に再建されたという。

画像 003
山門の手前、石段の左脇にある案内板。

画像 004
山門

画像 005

画像 006

画像 007
石段を登るたびに気温が下がっていく気がする。見事な巨木もさりげない。

画像 008
⊳羅漢とは

画像 010
ノーモア広島

画像 011
境内左手の手水舎とその後ろの釣鐘。

画像 012
右手には大きな石柱

画像 013
石柱のうしろに虎? そして少し映っている木が樹齢300年のかやの木 âŠ³PIC

画像 023
境内の左下に茶室が見える

画像 027

画像 014

画像 028

画像 029
本堂(毘沙門堂) 

1690年に中興の祖と言われる了円が建て直したもの。

画像 030
本堂から渡り廊下で繋がっているお堂。 

画像 031
境内の右側(北側)にある寺務所は見事。 

毎年2月11日の「お塔祭」には、かつてのままで、儀式も烏帽子、直垂、裃(かみしも)装束で行わ れる。

また、このお塔祭を取り仕切るのは、ここから数分南に行くとある屋敷の四鬼本家。四鬼家は昔、奈良県吉野郡天川村洞川から修験者として、この唐櫃に移り住んだと言い伝えがある。 

画像 015

画像 016
真ん中から水が落ちているのだろうが、水枯れのようだ。不動明王もさびしそう

画像 017

画像 018

画像 019

画像 021
句碑は解説版もなく読みづらい。「かや老いて ・・・・・・・ 浅らしけり」

画像 022
たくさんある羅漢の中で目立っていた服を着せてもらっている一体。表情が今にも何か話しだしそうだ。

画像 025

画像 024

画像 026

清盛公ゆかりの地として調べていたが、やはり歴史深いこの寺には見るべきものが多い。

近くにある唐櫃台やここ有野町唐櫃の「唐櫃(からと)」の歴史も有名で、想像通り唐櫃(からひつ)から来るのが由来なのだが。興味のある方は⊳唐櫃の黄金の鶏伝説

また、多聞寺は貴重な花を有することでも重要な場所のようだ。⊳多聞寺の歴史と花

兵庫の由来にも何か関連を感じるので調べてみると「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に兵の武器の倉庫の意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことからも由来するとあった。

武器を埋めるということは、神宮皇后のなさったことでもあり、その伝説は岡山あたりから大阪湾にかけて随所でみられる。
 

     2012年2月27日 参拝



🔹【裏ワザ】覚えやすいメールアドレスでEメール上級者の仲間入り!
🔹【じゃらん】料理、温泉、おもてなし…クチコミで選ばれた人気宿ランキング