🔷嵐山花灯路



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阪急嵐山から渡月橋を目指す 


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「京都いけばな協会 いけばなプロムナード」という企画。このようなアレンジメントがコースの各地に配置されている。

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渡月橋を渡り終える直前の目線は、川沿いのライトアップと橋のたもとの紅葉の輝き 

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渡月橋を渡り保津川沿いを左へ、立ち並ぶ観光リヤカーの磨かれた金属と提灯が不思議な空間をかもし出していた。 

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大胆にも山全体をライトアップ 

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料亭 嵐山吉兆の門前は紅葉真っ盛り 

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このサーチライト群が嵐山を照らしているのだ。青い光の帯が幻想的、ライトアップのライトを撮る人は他にはいなかったな(笑)

このあたりで道は自然と右に曲がり東へと進む。 

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小倉百人一首・殿堂 時雨殿を左手に過ぎてまもなく、鮮やかな宝厳院が見えてくる。前を通るだけで十分に楽しめる。




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右手には「嵐山羅漢」が整列、幽玄な空間だった。

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 圧巻の「竹林の小径」

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竹のふしがいい味を出している。 

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上を見たらまるで日本画のようだ

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妙見堂・花の柊天井...惹かれる文句だが、今日はこの先の落柿舎へ。 

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常寂光寺の山門前で右折、東に向かう道はまだ紅葉が残っている。

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何やら怪しげな光る干し柿(落柿灯)が並ぶ 

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落柿舎/らくししゃが見えてきた

 

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入場券

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入り口の真向かいにも落柿灯が 

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現在の庵は1770年、俳人井上重厚による再建であり、場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっているがムード満点の本庵だ。

そして驚いたことに、井上重厚は近江の義仲寺の住職でもあった! 

参考⊳芭蕉と義仲寺



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土間に入り天井を見る

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土間の次、玄関と奥二畳の間、襖に映る竹の影は計算の上? 

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縁側があり四畳半と奥三畳、そしてその向こうに吊るし柿がある。

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そしてそのさらに後ろは 弘源寺墓地となり、その傍らには西行庵の跡を偲ばせる「西行井戸」がある。(上記見取り図参照) 

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本庵と柿の木 

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本庵の西側にある次庵は閉ざされていた。次庵に沿って灯篭が並ぶ。 

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灯篭の天には京都花灯路の文字ともみじの葉が一枚落ちていた。

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芭蕉句碑「五月雨や 色紙(しきし)へぎたる 壁の跡」

⊳句の解説 

芭蕉は高弟の向井去来のこの落柿舎にて、1691年/元禄4年4月から5月まで滞在して嵯峨日記を著した。

五月雨や~はその「嵯峨日記」の最尾に記した句である。

また芭蕉はこう語ったという。


洛の何某(なにがし)
去来が別墅(べっしょ)
下嵯峨の藪の中にして
嵐山のふもと
大井川の流れに近し
この地閑寂の便りありて
心すむべき処なり
 
  ~落柿舎ノ記

落柿舎を芭蕉はよほどお気に入りと見えて三度訪れている。

また、弟子たちやその妻たちと五人で一つの蚊帳で寝るなど、そのリラックス感が伝わるエピソードもあるようだ。

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落柿舎のエントランス

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これは本庵の一角にあった三日月の模様の入った板。

光と影で室内からどう見えるのだろうか? 粋なことをするものであるなぁ。障子を少し開けて... 

  2011年12月15日 拝観



この日の全行程


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