愛読書『京都 花の道をあるく』の第25段「紅葉その二」のコースを歩いている。
鳥辺野(とりべの)は鴨川より西側の、阿弥陀ヶ峰(山頂には、豊臣秀吉の墓所の豊国廟がある)北麓の清水寺の南西で、北の蓮台野(れんだいの)、西の化野(あだしの)と並ぶ東の墓地葬送の地となっている。
▼化野/あだしのの記録
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新熊野神社を出て南に1ブロック歩き東へ住宅街を上がったところに、疳の虫に効くとクチコミで広がっている剣神社がある。
🔷剣神社
なぜかトビウオの絵馬、そしてどこかに剣が埋まっているという伝承、そして子供の守護神。謎が残る神社だ。
祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
邇邇藝命(ににぎのみこと)
白山姫命(しらやまひめのみこと)
剣神社を出てすぐそばの音無川にかかる小さな橋を渡る、その橋の頭上を覆うかのごとく枝垂桜が見事に紅葉(黄葉?)していた。
この桜のアーチが鳥辺野への入り口だ。
この道の両側には、もみじが重なるようにあるが紅葉はまだだった。坂を登れば静かな住宅街、そこを通り抜ければ、進むほどに草深くなり、そこはかとなく哀れが漂う世界へと導かれる...
🔷鳥戸野陵 /とりべのみささぎ
道標は新熊野神社から劔神社へ向かう道の入り口にあったようだ ⊳道標 ⊳道標2
「お気をつけて」と宮内庁の立て札が
途中でふり返り、目線の先は京都市内。
清少納言が仕えた、藤原定子(一条天皇天皇皇后)が永眠。若干24歳で亡くなられたのだ。
時はちょうど栄華を極める藤原道長が次第にライバルを凌いで政治の実権を取っていくタイミング。
父が亡くなり、兄が事件を起こし大宰府に流罪、定子が頼れるのは一条天皇のみとなる。ちょうど1000年秋、難産のあおりで24歳で子供たちの成長を見ることなく崩御されたのだ。
夜もすがら 契りしことを忘れずは
恋ひむ涙の いろぞゆかしき
藤原定子
私が死んだ後、恋しがって流す貴方の涙の色が知りたいですと最期に詠んだ。
枕草子にも書かれているように知性があって、みずみずしく、美しいお方だったとのこと。
「そこはかの哀れの空間」を後にして振り返りの図。
この地は天皇家や、豊臣秀吉の墓、親鸞上人の荼毘所としても有名なところ。特に豊臣秀吉にあっては東山連峰のひとつ阿弥陀ケ峰にと遺言されていたほどの特別の場所だったのだ。
2007年11月6日
この日の行程MAP
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コメント
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