🔷ザビエル新記念聖堂
日本の地を踏み、長崎平戸に部下を残し山口へ向かう。
そのあと都をめざしてザビエルは進んだが、その当時の京都はとんでもなく悲惨な状態で、その上、手土産が無いと朝廷に会えないという事情で断念した。
ザビエル自身楽しみにしていいた比叡山での高僧たちとの討論も断られ、やむなし山口に戻って大内氏の計らいで布教活動を、そうザビエル本人が布教活動をした町が‘やまぐち’だったのだ。
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二代目のザビエル記念聖堂は斬新すぎてびっくりする。
漏電のため火災にあった前の記念館のほうがいいとの声もあるようだが、純白の外観と、芝生、空の青が見事にマッチングして実に美しかった。
▼1991年/平成3年に焼失した旧ザビエル記念聖堂
🔹ローマ法王から頂いた鐘
自由に鳴らしていいとのことなので、大きく1回、小さく2回鳴らしてみた。日本の鐘とは違い、平べったい音だが、なんともやさしい音色。
山口と大分で布教活動のあと、日本に大きく影響を与えた中国を目指し旅立ったザビエルは、ポルトガル船の停泊地であった中国、広東省の上川島で生涯を終える。フランシスコ・ザビエル享年46歳。
ザビエルが日本をこう表現した
うれしいじゃないですか
この国(日本)の人々は
今までに発見された
国民の中で最高であり
日本人より優れている人々は、
異教徒の間では
見つけられないでしょう
フランシスコ・ザビエル
この言葉に恥じること無いようにありたいものです
2007年8月19日
山口市内観光の行程
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親切な思いやりとソーヤ・デ・ブリーズ