少し横道にそれるが、曽我町と同じ磐余の地のの中、気になる場所をみつけた。それは少し前に訪れた「吉備池」の近くだった。 

歴史は曽我氏が代等してくるころより130年ほど遡ることになる。そこは曽我氏のライバル物部氏の縁の地でもある。

第17代 履中天皇は父である仁徳天皇崩御のあとの相続争いに勝ち上がるが、難波高津宮にて襲われ大和の石上神宮へ逃げ延び、橿原の磐余若桜宮にて即位。 




中国の『宋書』に見える「倭の五王」中の一人とされ、死後は百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)に葬られた。

その場所は大阪府堺市石津ヶ丘町にある上石津ミサンザイ古墳(前方後円墳・全長365m)に比定されている。 

さらに詳しい記事 ⊳第17代 履中天皇

曽我町から東へ、先日訪れた桜井市吉備池のあたりから桜井駅近くのエリアにある「磐余若桜宮」であったのではとされる重要な神社二社を見る。

どちらも「わかざくらじんじゃ」で磐余若桜宮である。



🔹稚桜神社(わかざくら--)

 

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稚桜神社(わかざくら--)

住所は「桜井市池之内字宮地」と宮跡を匂わせる。⊳MAP 

 

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鳥居をくぐり石段を数段上がると真正面に「愛宕山大権現」、そして右手に燈篭の役目をするものなのか?奇妙な石柱がある。 

 

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左を向くと、ご覧のように石段が上へと誘う花道のようでもある。 タモリさんじゃないが私も段差大好き(笑)

 

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石段を登りきると、神楽が収納されているのだろう建物と灯篭。そしてここから本殿を取り囲むように摂社や石碑が立ち並ぶ。 

 

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稲荷神社 

 

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庚申【コウシン】さん

 

旅 110
八坂神社 

 

旅 111
三寶大荒神 ⊳荒神さまって何? 

 

旅 112
厳島神社 

 

旅 113
金毘羅大権現 ⊳宮毘羅大将とは 

 

旅 114
富士大権現 

 

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天照皇太神宮(天照大神)
八幡大菩薩
春日大明神 

 

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拝殿
 

拝所の真上に三角屋根がなく、中に切れ込んだ形の拝殿。 

 

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拝殿から本殿に向かう空間には入ることが出来ない 

 

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拝殿前から本殿エリアを撮る。 

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右にある祠は「高麗神社(こまじんじゃ)

『元来、御祭神は神功皇后(気息長足姫命)であったが神功皇后を本殿に合祀し、境内社であった住吉神社を高麗神社に祀り直して、武内宿禰を祭神とする。』といった説明がネットではよく見られる。


やはり「高麗」という文字に隠すことができないルーツがある気がしてならない。

下に用意した参考の文献を是非読んでみてもらいたい。

また、ここで蘇我氏の祖先である武内宿禰が登場するのも見逃せない。 


参考⊳埼玉県日高市の高麗神社の由緒と歴史

 

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一方、左手にある祠は「天満神社」である。御祭神はもちろん「菅原道真」

今では学問の神として有名だが、元はと言えば災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられ、その祟りを沈めるがために建てられたのが天満神社の発端なのだ。 

 

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本殿には三つの扉がある。  

案内板にもあったとおり御祭神は三柱。
「気息長足姫命」
「出雲色男命」
「去来穂別命」

時系列に見てみると「出雲色男命(いずもしこおのみこと)」が第4代懿徳(いとく)天皇に仕えていたので、紀元前550~477年となる。 


次に「気息長足姫命」こと神功皇后で170~269年、そして「去来穂別命(いざほわけのみこと)」こと第17代履中天皇(336?~405)である。

社名「稚桜(わかざくら)」の名の由来にあたる物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ/稚桜部造の祖先「出雲色男命」

磐余に都を造られた「気息長足姫命」そして磐余池を造られ、この神社の地「磐余若桜宮」で即位された「履中天皇/去来穂別命」の三柱の本殿の御祭神はもっともである。 

 

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拝殿と本殿を仕切る門「中門」というのだろうか。 見事な彫刻が施され、その中に皇室の「五七桐」の紋も見える。 

 

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拝殿の頭上の彫刻はうさぎ? 緊張をほぐしてくれるなぁ、ちょい目怖いけど

稚桜神社。この高台は都を造るにはもってこいのロケーション。全体の印象としては神仏習合時代の名残を色濃く感じる神社だと言える。興味深い場所だった。 


さて、このたびの最後はもう一つの「若桜神社(わかざくらじんじゃ)」に行く。場所はここからすぐ近く、JR桜井駅の近くにある。

 

     2011年9月6日 参拝


蘇我の町を歩く2011.9.06行程MAP②