中曽司町(なかぞんちょう)
の磐余神社の北隣に小さな神社がある。『岩神社』という。ここはまさに迷宮への入り口ともいえる。古墳の上に祠が建っているのだ。 

それもあえて発掘することもなく建てたと言うから、ただ事ではない。どんな思惑があるのだろうか。

中曽司集落の北西隅に南面して鎮座します。俗に 中曽司の宮さんと呼び、本殿が巨石の上にあるこ とから岩神社と呼んでいます。古来より旱魃にな ると、社殿の付近を掘って出てきた石で雨乞いを すると効果あると伝えられています。神社の創建 は特定できませんでした。境内の太神宮石灯籠の 建立は嘉永6年4月/1853年 
                ~真菅北小冊子より

旅 056

生活道路に沿って南北に細長く、まさにうなぎの寝床状態の神社である。

まだ全体的にこの神社は新しく、土地を整備する折に発掘された古墳の一部と 思われる石蓋(遺体を収める石棺の蓋)や奇岩たちから考えても、この地下に歴史の謎を解き明かす何かが眠っているにちがいない。 

ところが、このように神社が建ってしまった以上、徐々にこの現実も薄らいでいくのかもしれない。 しっかりと記録し記憶しておくべきだ。

  

旅 057
拝殿の扉は開けられており、奥の本殿前まで入ることが出来る。小さな境内だが出土した奇岩たちが境内に置かれている。そして大胆にも出土した石棺の蓋の上に本殿が建てられている。 

本殿が古墳の石室上にあって、石棺蓋の上に鎮座しています。 明治44年/1911年本殿改修工事に伴って、発掘調査した時 凝灰岩製石棺1基と金環2個、土器蓋2個が出土しました。平成19年度橿原考古学研究所にお願いして確認した結果、古墳の 築造時期は西暦620年~630年の築造と推定されています。 ~真菅北小冊子より

旅 058

この写真ではわからないが石棺の蓋と思わしき物の上に建つ本殿。 
祭神は「神日本磐余比古命」そう神武天皇。 

 

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これらの岩が何を物語るのか? 

この地には古墳があるのは間違いなく、大きな穴があったにもかかわらず埋めて、神社を建てた。何度も言うが不可解である。 

基礎工事の段階で何かが出土して、それが歴史遺産に値するものならそれ以降の着工はストップとなるらしい。歴史の町奈良や京都などでは、あえて公開せずに、埋め立てられ闇に消えていくことも少なからずあるとどこかで聞いたことがある。 

 

旅 062
岩神社の前には鮮やかな赤い「インパチェンス」が咲いていいた。「アフリカホウセンカ」とも呼ばれ、1970年代に輸入された比較的新しい園芸品種。花言葉は「豊かさ」「鮮やかな人」

 

     2011年9月6日 参拝


蘇我の町を歩く2011.9.06行程MAP①