曲川町(まがりかわちょう)から東へ曽我川を渡り曽我町に入る。

駅で言うならば「近鉄真菅(ますが)駅」「真菅」は「金橋」と同じくかつてこのあたりが高市郡真菅村だったことを表している。

祭祀に使われた材料で尊ばれた「(すげ)」は今でも曽我川に見られ、この菅から「すがすがしい」という言葉が生まれたという。

 

🔷宗我坐宗我都比古神社
  (そがにますそがつひこ--)


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旅 038
線路からすぐのところに鳥居がある。通称「曽我さん」別名「入鹿宮」 

旅 039
鳥居脇にこんなメッセージが  

旅 040
参道右手に手水舎 

旅 042

旅 043

旅 044
拝殿ともう一組の狛犬

祭神
曾我都比古神
曾我都比売神

創建は不明のようだが由緒としては蘇我馬子が、蘇我氏の始祖の 宗我都比古・宗我都比売を祀るために創建したと伝えられているが、仏教崇拝の馬子が神社をつくるとはにわかに信じがたい。

『大和志』には「曽我村の北に在り。今享保年間入鹿宮と称する。」とある。 二体の木像神像を御神体としている。

創祀については『五郡神社記』には「推古天皇の御代に蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀って神殿を蘇我村に造営した。」と記している。五郡神社記の詳細は不明。

社伝によると「持統天皇が蘇我一門の滅亡を憐れんで「蘇我倉山田石川麻呂」の次男「徳永内供」に紀氏を継がしめた。

その後内供の子「永末」に祖神を祀るため土地を賜い、社務と耕作を行わせたのに始まるとし、祭神を蘇我氏の遠祖「彦太忍信命」と「石川宿禰」の二神とするとある。

一般に社号から、祭神は曾我都比古神と曾我都比売神とされているが、江戸時代には入鹿宮とも称されており、蘇我氏祖神である、武内宿禰、彦太忍信命、石川宿禰などとする説もある。







内供(ないぐ)とは、宮中の道場で天皇に奉仕し、御斎会の読師、または夜居を務めた僧職

などと文献によって伝承のあいまいさはあるものの、おおよその筋道はわかるだろう。
 

旅 045
本殿は屋根の部分しか撮影出来なかった。威厳があり、丁寧なつくりが伺い見ることができた。

旅 046
拝殿の真正面上部に掲げられた網領

旅 047
梁にあった織田信長で有名な木瓜紋(もっこうもん)は藤紋、片喰紋、鷹の羽紋、桐紋と合わせて五大紋と呼ばれるもの。



旅 048
八大夫稲荷神社 八太夫とは? 

旅 049
八坂神社

祭神は素戔嗚尊(スサノオ)



旅 050
戎神社

祭神は事代主命

 
旅 052
車を「曽我川緑地公園」に停めて歩いてきたので、線路沿いに戻る途中、面白いものを発見した。

旅 051
びっくり!「西真菅自治集会所」とある。いいねー

旅 053

旅 054
曽我川のすぐそば、堤防にある歴史史跡。

旅 055
堤防から目線はグラウンド・ゴルフの芝生公園、そして遠くに二上山。  

  2011年9月6日 参拝


蘇我の町を歩く2011.9.06行程MAP


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