雲梯(うなて)町から曽我川沿いを下る。曽我町のエリアに入り、曽我川の左岸(西側)「曲川町(まがりかわちょう)」に目を向けた。

このあたりはかつて27代安閑(あんかん)天皇の宮跡地と言われていて、その名も「安閑天皇勾金橋(まがりかなはし)宮跡」この地で即位されたのだ。

「勾(まがり)」は安閑天皇の(いみな)「勾大兄(まがりのおおえ)」から、そしてその「まがり」は今の「曲川町(まがりかわちょう)」へと受継がれている。 

「金橋」はかつてこのあたりの村名「金橋村」からのもの、今は「JR金橋駅」として名を残している。 そして今から参拝する「金橋神社」もそうだ。




🔷金橋神社



旅 026
町外れの民家の間にひっそりとした感じの佇まい。

旅 027
鳥居を潜るとすぐ左手に手水舎、そしてその後方に「安閑天皇勾金橋宮跡」の碑。 

旅 028
案内板はちょっと読みづらいので↓に書き出した

安閑天皇(西暦466-535)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の名で親し まれ西暦534年春正月に第27代天皇として勾金橋宮で即位された。

都を大和國盤余(いはれ)の玉穂宮から勾金橋宮の地(橿原市曲川町)に遷されたのは 今から1450余年前のことで寛大にして仁恵の深い天皇は此の地で善政を敷かれた。

この由緒ある勾金橋宮跡に安閑天皇の遺徳を偲び、その神霊を祀って創建されたのが権現社である。

権現社建立時期は定かではないが、明治維新に金橋神社を改稱され人里に接した社地は竹林と生け垣で隔てられ、社殿の周囲には古木が聳え立ち、千古の霊蹟を今日に伝えている。

大正4年11月に奈良県教育委員会によって建設された安閑天皇勾金橋宮跡の記念碑も境内に保存されている。

平成元年11月12日 橿原市曲川町

                            

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拝殿 

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鶴と松の欄間は精巧な造りだ 

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拝殿の中の高貴な方を連想させる絵

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一方こちらは甲冑が戦士を思わせる

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拝殿裏の本殿、隙間からの撮影。

祭神は安閑天皇である。

明治維新前は蔵王権現と呼ばれており、蔵王権現は安閑天皇だとの説もある。有名なのは吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)だ。 

ここ曲川(まがりかわ)というところは大和朝廷においては主要な道「竹内街道」と「官道横大路」とが繋がる位置にある。 

難波の港と奈良の都との物資の往来で賑わっていたはずである。

⊳竹内街道詳細とMAP 
⊳官道横大路詳細とMAP 

また金橋神社の年一度のお祭りでは、近くの畝火山口神社の神主が来られて、権現さん祭りをおこなうそうだ。



ここでひとつこの時期の天皇家の系図を見ておこう 


天皇系図26-37代

継体天皇から安閑天皇-宣化天皇のラインと、継体天皇-欽明天皇のラインの権力争いがある。

そしてここで天皇家の系図に蘇我氏の名前が現れる。その後見事に娘を天皇家に娘を嫁がせているのがよく分かる。 




🔷八幡神社

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金橋神社から西へ数分で「八幡神社」につく

このあたりの鎮守社というところだろう。周りを掘りのような溝で囲まれていて、かつて巨大な寺院があったとも言われている場所である。 

旅 035
井戸らしき跡と手水舎

同じ覆い屋に守られたお地蔵様の格子に前掛けが干されていた。何かホッとさせるものがある。裏返されたバケツも日常の手入れを感じる。 

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三つの扉のある本殿

祭神は応神天皇(誉田別命)を主神として、左右に比売神、神功皇后か、はたまた応神天皇の両親とされる仲哀天皇と神功皇后だろうか。

旅 036
真正面から見た本殿と狛犬。後に安閑天皇を祀る蔵王大権現神社もあるという境内社が右上に見えるが近づけない。境内にある祭神の詳細は↓のサイトで見ることができる。



  2011年9月6日 参拝



蘇我の町を歩く2011.9.06行程MAP