雲梯(うなて)の川俣神社を出て、橋を渡り曽我川の西側堤防を南へ下ること数分。右手に「木葉神社」がある。 

ここ木葉神社が元来の川俣神社に比定されていて、先ほど参拝した現河俣神社は高市御縣坐鴨事代主神社/たかいちみあがたにますかもことしろぬしじんじゃに比定されているという事実。

何か不自然だ_「川俣/河俣」という名を調べる必要がある。

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木葉神社(元・川俣神社)は本来、川俣公の租・彦坐命(ヒコイマスオウ)を祀った神社だと考えられている。

中世以降は荒廃し、神仏習合によって僧坊(初穂寺)が建設され、その隅に祠を建てて祀られ、浅間権現と呼ばれていたという。

その後明治初年頃に、祭神の「木花開耶姫命」からの流れで木華神社と改称したようだ。浅間権現に木花開耶姫命ということは、まさしく富士山信仰なのだが。不自然ではある。



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木葉神社(元・川俣神社)

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神社は住宅街の中にある。鳥居は最古の形と言われる素朴な「神明系」

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鳥居を潜り右手に、小さな屋根の下、手水舎と思われる岩がある 

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拝殿 

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個性的な狛犬の控える本殿。

祠の中にも小さな狛犬が。祭神は「木花開耶姫命」神武天皇の曾婆さんにあたる。

火の神とも、水の神とも言われるが、ここでは間違いなく水運を司る人々のために水の神として祀られているはずだ。

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拝殿の拝所の鈴のところにある絵 

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拝殿の中にある絵と絵馬。

木葉神社参拝を終えて、しばらくこの雲梯(うなて)町を歩いてみた。

ここに流れる曽我川は飛鳥川といっしょに法隆寺インターのあたりで大和川に合流。そのまま大和川は住吉まで流れ、南港にたどり着く。 

明日香から難波までの重要な水上交通のルートだったに違いはなく、そこを牛耳っていたのが川俣氏と日下部氏だった。コトバンクではそのあたりのことが書かれている↓



奈良の都・飛鳥にほど近いこの雲梯(うなて)町に川俣氏の祖先をお祭りするのは当然だと言える。

また大阪府東大阪市に川俣町というところがあり、そこにも川俣神社がある。

やはり近くには主要な川が流れていて、その川は大阪城付近に注ぐ。 東に地図を見れば生駒山、その先に奈良の都がある

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とある民家の勝手口が開いていて、中を見たらご覧の通り...勝手ながら一枚

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集落の一角にレトロな建物が、たまたま通り合わせた叔父さんに聞くと、三角の屋根は後から付けられたものだそうだ。 

次は曽我川を少し下り、右岸の「曽我町」へ、その前に左岸の「曲川町/まがりかわちょう」を散策してみる。

その町の歴史の背景を探るには神社仏閣がわかりやすい。そこでも二つの神社の雄姿を見ることになる。

  2011年9月6日 雲梯にて



蘇我の町を歩く2011.9.06行程MAP


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