「京の七口」というのがある。

詳しくは⊳京の七口を見ていただくとして、その中にあって東海道、中山道に繋がる要所として「粟田口(三条口/大津口)」がある。 

場所は蹴上の西側にあって、北へ向かうと平安神宮、南へ向かうと先は清水寺、そして西に下れば、知恩院、円山公園となるあたりだ。

その中心に「旅立ちの神」として信仰された「粟田神社」がある。 


🔷粟田神社



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三条通りに面した鳥居から数えて三の鳥居となる。

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気になるのが鳥居についているこの神額の文字だ。なんと「感神院新宮」とある。

粟田神社由緒にもあるとおり旧社名は感神院新宮(カンジンインシングウ)粟田天王宮と称されていたという。

「感神院」とはご存知の八坂神社のこと。

由緒によると「祇園(八坂神社)の東北に清き処あり、其の地は牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオノミコト)に縁ある地である」と。まさにその位置が「粟田神社」なのである。

祭神のスサノオ(=牛頭天皇)は知恩院参道の「瓜生石」に降臨、後にこの粟田神社に移られたという一説。

また播磨 廣峰神社より神戸祇園神社を経て岡崎神社に来たという一説。

パワーのあるスサノオの取り合いのような様相である。



岡崎神社の記録↓


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拝殿と奥に拝所と幣殿。この感じは八坂神社とよく似ている。

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本殿前の狛犬

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拝所と幣殿、奥に本殿。

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本殿の三つの神の領域を見る。神紋はやはり八坂神社と同じ「ヒセ瓜と三つ巴」

祭神は主座
素戔嗚尊/スサノヲノ-
大己貴命/オオナムチノ-

左座 
八大王子命/ハチダイオオジノ-

八大王子命は素戔嗚尊の八柱の御子神、八島士奴美神五十猛神大屋彦神大屋津媛神抓津媛神須勢理媛神大年神宇迦之御魂神(稲荷)とされる。 

右座
櫛稲田姫命/クシナダヒメノ-/最初の妻
神大市比賣命/カムオオイチヒメノ-/二番目の妻
佐須良比賣命/サスラヒメノ-

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本殿 

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朝日天満宮/左側、多賀社/右側

朝日天満宮は 菅原道真公を祀る学問の神様。京洛二十五社の一社。

多賀社は多賀大社の分霊を祀る、縁結び・長寿の神様。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。

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大神宮社

祭神は天照大神、豊受媛命その両脇に八幡社に春日社。



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日本最古の寄木造りの出世恵美須神像 

出世恵美須神像 写真↓


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吉兵衛神社

三条神宮道にあった青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神。 

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太郎兵衛神社

青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神。陶芸家、故楠部彌弌氏作品の写真)のご信仰されていたお社。



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北向稲荷神社

江戸時代以前からこの場所にあった。



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手水舎

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絵馬舎内にある刀の刃

この粟田神社のある地が「粟田口鍛冶町」であること。

そして北向稲荷神社の由緒にもあり、三の鳥居脇に粟田口の刀工、三条小鍛冶宗近、粟田口藤四郎吉光と、作金者(かなだくみ)の祖である天目一筒神を祀る「鍛冶神社」も関連しているのだろう。 



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能舞台

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平成20年/2008年、粟田神社大祭の夜渡り神事(宵宮)に、180年ぶりに復活した粟田大燈呂の巡行。それを見た人は誰もが東北ねぶた祭のルーツを感じ取ったという。 

実際のところ、ねぶた祭とは津軽為信が京都において、豊臣秀吉に「津軽の大灯籠」を披露したことに端を発すると言われている。

その後、津軽で行事化したのは、文禄2年/1593年以後のことである。~「京に癒され粟田大燈呂 ねぶた祭の原点か」より。 



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境内の南東の位置から山道が続く、その先は知恩院の裏山を登り将軍塚 大日堂へと..今は通行禁止となってはいるが。行ってみたい衝動がムクムク(笑)

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境内の北向きの隅に「リュウゼツラン」が開花していた。

センチュリーフラワーとも呼ばれ、滅多に咲かないとされるこの花。花の命はたった五日間という。幸運だったな、遠くに平安神宮の鳥居が見える。

  2011年12月6日 参拝


4週連続 京都の紅葉㉒12/6日の行程MAP


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