真如堂から南に下ると、幕末の動乱、鳥羽伏見の戦いで戦死した幕府側の会津藩藩士352名が眠る黒谷墓地を通ることになる。ここあたりは黒谷と呼び、新撰組発祥の地としても有名なところ。


🔷黒谷

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会津墓地を過ぎて、一番高いところにある通称「文殊塔」の三重塔

二段目の額には「日本三文殊随一」とある。

あとの二つは奈良 安倍の文殊、天橋立智恩寺 切戸(きれど)の文殊

山形県・奥州亀岡の文殊を加えるという説もあるようだ


 

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紫雲山くろ谷 金戒(こんかい)光明寺

今回は参拝せずに先に進んだが、ここ光明寺は浄土宗の大本山。

承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を最初に結ばれたこの地、浄土宗最初の寺院である。

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供養塔にはお江の遺髪が納められているそうで、春日局はお江への追善として塔を建てて弔った。

春日局は後に家光の弟「忠長」の供養塔、さらには春日局自身の供養塔も建てており、いずれもお江の供養塔のすぐそばだ。

また三重塔は、お江の夫 秀忠を弔うため、お江の供養塔の少し後に建てられたという。

さて、いざと言うときの要塞も兼ね備えたという「くろ谷」を南下、岡崎に出る。


🔷岡崎

このあたりは、平安時代に白川と呼ばれ院政が行われ栄華を極めたところだ。

かつて岡崎村と言われ、のどかなで畑がいっぱい広がって、そこには兎がたくさんいたと言う。

そして、吉田山から、真如堂、紫雲山まで続いていた岡の先(崎)という意味で「岡崎」という名前が付けられたのだ。


🔹岡崎神社

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桓武天皇の平安京遷都に際し、王城鎮護のため都の四方に建てられた神社の一つとされ、東方を守護したところから東天王社と称したとされている。


弘仁年間/810~824年社殿の炎上後、貞観11年/869年播磨国広峰(兵庫県姫路市)から牛頭天王(素盞鳴命)を迎え入れその後、牛頭天王は感神院(現八坂神社)に移し祀られた。

廣峰神社の記録↓


👉ポイント
京都の東西南北の鎮護の神社は、

東 左京区の岡崎神社
  東山区の東三条大将軍神社

西 上京区の大将軍八神社

南 伏見区の藤森神社境内の
  大将軍神社

北 北区の今宮神社摂社疫神社
  西賀茂大将軍神社

これらはすべて現在では武勇神スサノオを祭神としている。下記リンク先から引用した



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能舞台 

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都の卯(東)の方位にあるこの地一帯は野兎の生息地で、うさぎが氏神の神使いとされる。

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境内の御手水には月の力を満たしたうさぎ像があり、水をかけてお腹を擦ると祈願(安産)が叶うと信仰を集めている

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祭神は明治以前はゴズテンノウとその后のハリサイジョおよび八王子を祀っていた。

神仏分離以降はゴズテンノウが邪神として排斥されたことをうけて、祭神をゴズテンノウからスサノヲに変更し奥方の奇稲田姫命、子供たちの八柱御子神がまつられている。 ほんとややこしい

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威圧感たっぷりの狛犬の前に、おだやかな兎が、アンバランスだこと

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本殿東側の「雨社」

全国にもたいへん珍しい龍神様と呼ばれる雨ノ社。

元来は如意ヶ岳(大文字山)の山中にあった祠で、雨乞いの神として崇敬されている。

⊳大文字山の雨社を訪ねた方の記録

祭神は

大山祇命(おおやまつみのみこと)
国狹槌命(くにさつちのみこと) 
句句廼馳命(くくのちのみこと)
豊受媛命(とようけひめのみこと)
罔象女命(みずはのめのみこと)

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拝殿前の舞台には山茶花が鮮やかだ 

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祭神は
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
蛭兒大神(えびすおおかみ)
大国主命(おおくにぬしのみこと) 

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絵馬堂というのだろうか? その中にある絵は、大蛇を切っているところからスサノオだろう。酒壺らしきものもあるし...

真ん中の「慶典」とはめでたい儀式。慶事の儀式。祝典とかの意味。 

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神馬 

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最後に末社二社を見る。

鳥居のすぐ脇、本殿に向かってならば鳥居を越えてすぐ左手にある。左の柵内が祖霊社とのこと、右手の小さな祠は詳細不明。⊳祖霊社とは

歴史と言うものは曖昧なもので、真実はひとつなのにもかかわらず、ある任意の事例にいくつもの物語が存在する場合がある。 

牛頭天皇(スサノオ)伝説においてもそうである。⊳播磨伝説~神意をかけた闘いを読むとよく分かる。ただどれが正しいかとは私は分らないが、好奇心は湧き上がる。

そのような流れの中、このあとすぐに参拝する「粟田神社」そして後日行くこととなる「神戸祇園神社」などの記録も合わせて想像してみてほしい。

もちろん今回の「岡崎神社」そして「瓜生石」も関連する。

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岡崎神社を出て丸太町通りを渡り南へ下る。

白川院のあった場所へ向かう途中、ここは岡崎法勝寺町、古い民家だと思うが二体の石像が目を惹いた。

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二条通りに出たところに白川院跡はある。

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読んでいるだけで興奮する壮大な白川院と法勝寺

高さ80mの九重の塔とは一体どんなだったんだろう?いつの日か再建されるとを願いたい。↓のリンク先のpdfにイメージ図がある。

⊳法勝寺八角九重塔跡の調査 - 京都市埋蔵文化財研究所

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二条通りを渡りさらに南へ、動物園の東側を歩いて疎水記念館のすぐそばに来た。

ここはもう南禅寺のエリアである。このあとは南禅寺~粟田口の重要な神社「粟田神社」へ。

  2011年12月6日 散策



4週連続 京都の紅葉⑳12/6日の行程MAP


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