🔷真如堂 後編 ⊳前編

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総門から三つに分かれる参道、左と右の細い参道を歩いたあと、再度真ん中を歩き本堂へ向かう

真如堂 前編の記録↓

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総門から進んでちょうど本堂までの半分の位置、左手に「茶所」があり、その脇にあった芭蕉の弟子、蕉門十哲の一人向井去来の句碑。

境内図↓




後で調べていて分かったのだが、この「茶所」ただ湯茶を接待するための建物ではなく、建物の中心の仏間に、一光三尊の善光寺如来の分身がまつられているらしい。


信州善光寺はじめ日本各地で耳にする十夜会の発祥は真如堂であると言われている。

十夜会とは?

「この世で十日十夜、善い行いをすることは、仏さまのもとで善い行いを千年することにも勝る」という 『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の教えを実践する法要。



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手水舎はボタンを押すと水が出る仕組み。後ろは三重塔。

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本堂

本堂の宮殿(徳川五代将軍綱吉公と桂昌院の寄進)の中には、ご本尊阿弥陀如来、不動明王(安倍晴明の念持仏)千手観音がまつられている。



正面「真如堂」の大額は享保11年/1726年、宝鏡寺宮からの寄付によるもの。



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本殿の裏側/東側は見事な紅葉の森。

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本殿のちょうど真裏は踊り場のように広く、見事な紅葉の森を一望できる。やや右側(東南)の絵。

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踊り場から階段を少し降りて、境内と同じ高さの回廊が南北にまっすぐ伸びる。

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書院手前の美しい手水舎 

境内案内↓


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🔹随縁の庭

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2010年に
重森千青氏によって作られたもので、背後にある仏堂(位牌殿)の蟇股に付けられた四つ目の家紋をモチーフにデザインされた。

「随縁」とは事象が縁によって様々な現れ方をすることをいう。

この庭も、朝夕の光の当たり方、天候や季節などによって、様々な表情を表すという。


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鈴木松年「松の図」

随縁の庭を望む部屋の8面の襖絵。 


🔹涅槃の庭

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書院の一番奥(東側)は涅槃の庭という比叡山および東山三十六峰を借景とした枯山水、1988年曽根三郎氏によって作庭された。 

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釈迦が右脇を下にして横たわり、その回りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子が、石によって表現されているという。

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紅葉と菊のコラボレーション 

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本堂の裏手の回廊に回ってみる。

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本堂の屋根、見事な装飾に家紋が二つあしらわれている。一つは大きく「黒田如水 長政」で有名な「黒田藤巴」そしてその下にさりげなく「源氏車」だろうか?

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地蔵菩薩を安置している「万霊堂」 

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案内板にもあるが、斉藤利三が眠り、春日局ゆかりの桜がある。なにやら光秀の影がちらちらしそうな場所なのかもしれないな...

家光とは家康の家、光秀の光ともとれるしなぁ...そこんとこは歴史空想のおもしろいところ。

このあとは「会津藩墓地」を通り、黒谷光明寺を抜けて「岡崎神社」「粟田神社」に向かう。スサノオ伝説の重要なポイントらしい

  2011年12月6日 拝観



4週連続 京都の紅葉⑲12/6日の行程MAP


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