早くは、菅原道真の怨霊を鎮めたといわれていて、13代天台座主「法性房尊意僧正」が若きころ修行したとも。そしてさらに歴史は下り、源平合戦より鎌倉時代に生きた「明恵上人」が中興開山した、そんな場所。 

🔷栂尾山/とがのおさん 高山寺 
  世界文化遺産1994年登録 




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三尾めぐりについてベストな解説↑

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駐車場があるところは裏参道にあたる。南へ数分歩くと右手にこの石段が見える。

高山寺の寺号の由来は『華厳経』の「日出でて先ず高山を照らす」という句によったといわれている。

この写真↑寺標がちょうど青年で隠れている。



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味わいのある灯篭が現れる

官僧に対してその世界から離脱して仏道修行に努める仏僧、いわゆる遁世僧(とんせいそう)となった明恵は、建永元年/1206年、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜されて高山寺を開山した。明恵33歳のことである。 



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灯篭を越え、斜めにアレンジされた石畳を歩きつつ振り返った絵。

偶然にもここ「高山寺」のリーフレット表紙と同じアングル。私の絵が若干上を意識してはいるが...。見頃であればここがしっかりと赤、黄、オレンジに色づくのだ。


🔷国宝 石水院

鎌倉時代の建築。入母屋造、杮(こけら)葺き。後鳥羽上皇の学問所を下賜されたものと伝え、明恵の住房跡とも伝える。

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国宝石水院、元はと言えば金堂の向かって右となりにあったという。 

高山寺境内図
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門を入り真正面は庭園への扉があるのだが、ここは閉じていた。

明恵は華厳の教えと密教との統一融合をはかり、戒律を重んじて顕密諸宗の復興に尽力した。

そしてその教えはのちに華厳密教と呼ばれるようになる。宗派をも超えたところでの教えは、非常にわかりやすいものであったと言う。




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手水舎もなんとも趣のあるもの。大小の柄杓もいいなぁ 

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石水院への渡り廊下

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富岡鉄斎(1837- 1924)の筆による石水院の額<写真上部>

動きのある像は明恵上人が敬愛した悟りを求める心を発心し、長い旅を続ける姿を現す、善財童子(ぜんざいどうし)像。




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南側の縁側

こんな家に住みたいと誰もが、特に建築業者の者が口を揃えるという。

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運慶作と伝えられているという、微妙な表現の明恵上人遺愛の子犬。まるで生きているように思える。

この横に教科書にも載っていた「鳥獣人物戯画」のサンプルが展示されている。 そして長押/なげしの上に後鳥羽院の勅額「日出先照高山之寺」がある。

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南から東側に移るコーナー 

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東側の縁側

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石水院を出て真向かいの少し高くなったところにある石碑。

鎌倉時代初期に栄西禅師が宋から茶種をもって帰国し、明恵上人に贈った。明恵上人はこれを栂尾山に植え、その後、宇治その他の土地に移し植えられたとい う。

以来、栂尾は茶の発祥地とされ、鎌倉時代後期~室町時代には毎年天皇にも献上され、名実ともに日本第一の産地であった。この大切な茶園は宇治の有志が管理しているという。

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茶園の真向かい、石水院のとなりにある遺香庵庭園は非公開のため、次のリンク先参照 


遺香庵庭園特別公開


🔷開山堂(重要文化財)

ここは明恵上人晩年を過ごし入寂した草庵禅堂院があった跡と言われている。江戸時代の再建。明恵の肖像彫刻(重要文化財)を安置する。


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開山堂横に建つ「聖観音像」 

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飲酒してはいけないと?耳が痛いな

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開山堂に続いて明恵上人御廟。 

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山の端に我も入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ/明恵上人 

山に入るので月も入っておいで。夜毎にまた友として語り合おうぞの意味。

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阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)明恵上人の遺訓

我は後世たすからんと
云ふ者にあらず

ただ現世に先づあるべきやうに
あらんと云ふ者なり

僧は僧のあるべきやう

俗は俗のあるべきやう

乃至帝王は帝王のあるべきやう

臣下は臣下のあるべきやうなり

此のあるべきやうを背く故に一切悪しきなり


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金堂

仏足石から少し坂を上れば着く。現存の金堂は1634年、有力な説が仁和寺古御所の御堂を移し復興されたものという。

また一説によれば1634年、奈良の円照寺から寄進されたとも言われている。本尊は釈迦如来像。

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宝塔

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春日明神社(1981年再興) 

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金堂からの道を下りながら振り返ってみた。参道をまっすぐ歩けばここに来る。

とにかく明恵上人のことが気になり始めた自分がいる。どうもファンは多いようで、やはり落ちるところには落ちるってことだな。

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  2011年11月15日 参拝


京都の紅葉⑦ 11.15日行程MAP


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