🔹日本仏教史上重要な寺院 高雄山 神護寺

京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺跡(ゆいせき)本山の寺院で、本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。 

遺跡(ゆいせき)本山とは?

弘法大師が住まわれた場所という意味で、2000年初頭に高野山により「別格本山」から「遺迹(ゆいせき)本山」へ変更された。遺迹本山は2ヶ寺のみ。神護寺と河内の観心寺



和気清麻呂、また空海に最澄、歴史を下り文覚に上覚や明恵とそうそうたる顔ぶれが沿革には顔を出す。




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西明寺の裏参道を下るとここに出る。近道といえば近道だが、こちらの殺風景な風景より入山した指月橋に下るほうがいいかもしれない。 

 

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しばらく行くと「秋葉荘」という名の宿がある。右側が清滝川で、川床もある。 

 

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秋葉荘の脇に無造作に置いてあった紅葉紋をあしらった瓦 

 

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清滝川を渡る高雄橋の袂に一つの祠があるが詳細は不明。祓いの神か?弁天様?竜神さま? 

 

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高雄橋の左手の土手に目立たないようにあった「山内女人禁制」と刻まれた石碑。目立ってはいけないのだろうなぁ今は... 

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さぁ登ろう350段!

 

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一件目の茶屋「高尾茶屋」で180度折り返すと今度はスロープで登る

 

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スロープの途中左手に地蔵様が 

 

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二軒目の茶屋「硯石亭」その前に弘法大師が硯の代わりとした石「硯石」がある。 

 

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櫻門が見えてきた

 

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このショットは紅葉シーズンのメディアには頻繁に登場する

 

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性雲集とは弘法大師空海の詩文を高弟真済(高雄僧正ともいう)が編集したもの。 

 

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一般的なお寺の櫻門や山門には「仁王像」が安置されているが、神護寺では「持国天」と「増長天」が神護寺への入り口である櫻門を守護されている。

 

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櫻門の北側(反対側)の姿

 

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書院(櫻門手前右から入る本坊と中で繋がっているようだ) 

ここでは「宝物虫払い行事」と称し、毎年5月1日~5月5日の間、国宝 源頼朝像、平重盛像、釈迦如来像、潅頂暦名ほか。普段見ることができない絵画など約60点を間近に見ることができる。レポ⊳宝物虫払い行事

 

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宝蔵

 

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和気清麻呂と姉 和気広虫が祀られていた護王神社跡、今は「和気公霊廟」 


明治19年「護王神社」は、明治天皇の勅命により、御所の守護神として、現在の地の京都御所蛤御門前に移された。


2011年12月15日に参拝した記録↑

 

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明王堂(護摩堂) 


平将門の乱を鎮めるために持ち出されたここ明王堂の不動明王が、今の成田山新勝寺のご本尊となっている。あのえびぞう一家の菩提寺である。 

 


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この石段は和気公霊廟と明王堂の間にある。上ると「三絶の鐘」と称されている梵鐘(ぼんしょう/国宝・非公開)がある。  

 

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平等院、園城寺(三井寺)の鐘とともに「天下の三名鐘」の一つと呼ばれている。高さ1.47m、口径80.3cmの銅製の鐘 平安時代初期875年鋳造である。 

 

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鐘の表面に鋳出された長文の銘文は、文人の橘広相(たちばなのひろみ)が序詞をつくり、菅原是善(菅原道真の父)が銘を選び、歌人・能書家 藤原敏行が字を書いたもの。

「三絶の鐘」とは、この時代の一流の文化人の3人が関わっていることに由来する。⊳三絶の鐘の写真 

 

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石表に右、和気清麻呂公墓 左、性仁親王御墓・文覚上人墓とある。

詳細サイト
⊳和気清麻呂の墓へ 
⊳性仁親王御墓・文覚上人墓 


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五大堂 


広々とした境内に戻り北に進むと真正面にあるのが五大堂。ここには不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王を祀る。 

当初は平安時代(824-834)に淳和天皇御願により建立され、多宝塔ができるまでは国宝の「五大虚空蔵菩薩」が納められていたそうだ。(ちなみに東寺の五大虚空蔵菩薩は重文)

 

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毘沙門堂

五大堂の真裏(西側)にある「毘沙門堂」の厨子内には毘沙門天立像(重文)を安置。現在の金堂完成までは「本堂(金堂)」として本尊・薬師如来像(国宝)を祀っていた。 

 

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毘沙門堂の裏側(北側)に見ためずらしいカエデ状の切り抜き。   

 

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大師堂

毘沙門堂の北側にあるのは「大師堂」板彫り弘法大師像1302年/正安4年、仏師定喜作(重要文化財)を安置。(非公開)

 

弘法大師が唐から帰還し神護寺に居られた14年間、この場所に「納涼坊」を建てて住まいにされていたそうだ。その地に江戸時代に細川忠興が大師堂を寄進したという。(重要文化財)

 

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五大堂前から東へ、本堂(金堂)へのアプローチ。この石段は時代劇には頻繁に登場する。横幅のある絵になる石段だ。 

 

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石段を登りきると左手にこのようなものが...? 

 

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本堂(金堂) 

建築年代は新しく、昭和9年/1934年 国宝「薬師如来(貞観時代 859-877年)」脇侍に「日光菩薩」「月光菩薩」(重要文化財)、十二神将及び四天王が祀られている。 

そのほか絵画・書物の国宝のレプリカも展示。とても落ち着く場所だったな。

 
今回見落としたのが「多宝塔」「竜王堂」「地蔵院」そして和気清麻呂公のお墓には登らなかった。 

この神護寺は調べれば調べるほどそのスケールの大きさに驚くばかりだった。何度も訪れたい場所のひとつになるようである。

最後に神護寺を下りながら見た絵をいくつか記録しておく

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     2011年9月13日 拝観


大覚寺「観月の夕べ」と神護寺 2011.9.12-13行程MAP