旅 108
雨があがり、境内に明かりが灯る。非日常な空間に、今思い出しても心は沸き立つ。

旅 041

旅 042
「宸殿」と「正神殿」のエリアから北側に上がる。なだらかな高低差がある。

旅 049

旅 053
真正面奥は「宸殿」手前左の細い回廊が続く建物が「正神殿」

旅 058

北へゆっくりと歩きながら振り返りの図。やんわりと紅葉しだした枝垂れ桜もライトを受けて鮮やかだ。  

 

旅 054
「正神殿」と別れた回廊は北へと続いている。無駄なものは何一つない 

 

旅 057
朱のお堂 霊明殿についた。霊明殿の真正面の朱の階段に腰掛けて、刻一刻と変化していく庭園の色に癒されながらいろいろと思いを巡らせた。 ⊳境内図


第30代内閣総理大臣の斎藤実氏が昭和3年/1928年に沼袋に建てた日仏寺の本堂である。その後戦争の為昭和17年/1942年頃百草園に移転。 


本堂「霊明殿」を大覚寺第52世草繫全宜門跡が、昭和33年/1958年に当地に移築したものであるとわれている。 

殿内にはご本尊阿弥陀如来と共に第52世草繫全宜門跡が祀られている。が、なぜ大覚寺の公式サイトに解説がないのだろうか? そして百草園に日仏寺も訪ね当たらない。
 

昭和11年/1936年に起きた二・二六事件で、斎藤実氏は、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監とともに青年将校に殺害されたことと関連があるのかもしれない。
 

この霊明殿に夕刻に大覚寺のお坊様が立ち並び経を唱えていた。前回早朝に訪れた折には本堂に立ち並びのお勤めを見ることが出来た。↓ 


皐月と青もみじの京都その④ ~北嵯峨を歩く 後編 『日本最古の庭池・大沢池』 


旅 052

旅 056

やや右に目をやると大きな木の向こうに「宸殿」と「正神殿」が見える。風に乗ってなにやら心地よい歌声が聞こえてきた。どうやらライブがはじまったようだ... 

 

旅 060
「宸殿」の舞台。真正面、写真の左側には客席が設けられている。このときまだお月様は出ていない。 

 

旅 063
幕末に再建された勅使(ちょくし)門 ⊳境内図

 

旅 062
勅使門から一直線に石舞台(舞舞台)そして御影堂(心経前堂)その先には心経殿が 並び、石舞台には高貴な神輿が置かれてあった。⊳境内図

御影堂は大正14年/1925年後宇多法皇600回忌を機に大覚寺へ移築されたもので、堂内の中心部は北側に建つ心経殿の拝所となり、その左右に大覚寺にゆかりの深い嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法皇、初代住職の恒寂法親王の像がある。 

 

旅 064
五大堂(本堂/写経道場)⊳境内図 


当初は伽藍の中心部(御影堂前の石舞台の位置)にあったが、大正14年/1925年御影堂が移築された際に現在の境内東側にある大沢池に面した場所に移動した。 

本尊鎌倉時代作の五大明王像は収蔵庫に移され、現在は松久朋琳松久宗琳が昭和50年/1975年に完成した五大明王像を本尊として安置。 

 

旅 067
鐘桜(しょうろう)は境内の南東の角にある ⊳境内図


この塀の向こうには「御殿川」が流れている。また大覚寺は時代劇での撮影でも有名で、ちょうど「時代劇の風景」というサイトに大覚寺の撮影記録があるので↓にリンクしておく。 


時代劇のロケ地探訪 大覚寺


この段階でも未だ月は見えず...


     2011年9月12日 中秋

 
大覚寺「観月の夕べ」と神護寺 2011.9.12-13行程MAP