京都府綴喜郡(つづきぐん)には二つの町がある。桜と山吹の里「井手町」と、日本緑茶発祥の地「宇治田原町」だ。今回はその類稀なる存在感と吸引力を放つ一本の桜を見るがための井手町への旅である。

町役場で観光MAP(さくらまつり案内マップ)をゲットし、すぐ裏から続く玉川沿いの桜並木を歩き出す。ここからスタートして、見所を徒歩で散策するのがいい。半日コースと見ておけばいいだろう。 


随所に地元の奥様方が軽食や飲み物を販売されているし、仮説トイレも等間隔にあり安心だ。

 

旅 001
町役場の裏から数秒で玉川沿いの土手に出る。地蔵さまに手を合わせ歩き出す。

井出町の玉川は日本六玉川の一つに数えられている。  

旅 002

 

旅 003
約1500mにソメイヨシノ約500本、そして元は橘諸兄公が手植えの山吹1万2千本が沿道を形作る。 

  

旅 006
4月4日。桜も山吹も少し早いのはわかっている。これも早咲きの「一本の枝垂れ桜」のためにこの日を選んだのだ。少し色づいた山吹があるお気に入りの一撮。 

 

旅 005
少々風は強いが、太陽は申し分ない。 

 

旅 008
正面に「後醍醐天皇萑旧蹟」「井堤茶蘼故地」右側面に「駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふゐでの玉川 藤原俊成」とある。⊳解説 

ここに難しい字がいくつかある。「萑」は将棋の「歩」のことをいう「萑歩(じゃくふ)」という言葉に使われている。 

そしてまた、藤原俊成の歌にも「駒とめて~」とあることから、歩兵と騎馬(軍隊)のことだろう。 

あと「蘼」だが「とび」と詠む様で、中国は宋の時代に名花十二種を選び人に擬して命名したことの意味だろう。「蘼」は(雅客)ということだから天皇=雅ということ。 

この堤防で後醍醐天皇がお茶を飲まれたのだろうか?

余談だが、藤原俊成の荘園は今の兵庫県たつの市にあった。ゆかりの地を以前訪ねたので紹介しておく。↓

 

旅 009

旅 011

旅 012
ユキヤナギ 花は小さいがよく見ると桜に似ている ⊳参照写真

 

旅 013
橋本橋で玉川とは別れ、進行方向は北向きに変わる。 

この道は城陽市、井手町、山城町、木津川市にかけてゆるやかに続く『山背古道(やましろこどう)』になる。


はるか前方の山裾に今から逢いに行く桜の姿がおぼろげに見えているが、手前の「うどん」の立て札に強く反応した(笑)。

この曲がりくねった道が「椿坂」この椿坂には何ともロマンチックな逸話が残されている。

平安時代中期「大和物語」に、この伝承にまつわる説話が収められている。

 

ある時、都から大和の国へ向かっていた内舎人(うどねり/天皇の護衛)の男が井手の里を通りがかった。すると、道沿いの屋敷から、とても愛らしい顔立ちの少女を連れた女性が出てきた。男は女性に「その少女が成人したら、わたしと結婚させてください。そのころにもう一度迎えに参ります」と言い、自分の帯をほどいて、少女の帯と交換した。

少女はこの男の言葉を忘れず、帯を大切に持ち続けて、思いを募らせながら育った。だが男は、しばらくするとその少女のことを忘れてしまった。

それから七、八年が過ぎた。

男は再び大和への使いに向かい、途中、井手の里に立ち寄った。ふと井戸のそばを見ると、とても清らかで美しい女性が、次のような歌を歌いながら水をくんでいた。

「山城の井手の玉水手にむすび、頼みしかひもなき世なり。

解きかくる井手の下帯行きめぐり、逢瀬(おうせ)うれしき玉川の水」

歌には、男がたわむれに交わした契りの言葉を忘れず、帯に思いを託して再会を願う少女の、切ない恋心が込められている。

美しい女性へと成長した少女を目にした内舎人の男は、その歌を聞いて、かつて自らが交わした約束を思い出したに違いない。

物語には、伝承の結末は記されていない

 

旅 014
真正面に見える建物は「井出町まちずくりセンター椿坂」。瓦窯跡はその左下隣にあったということだろう。まちずくりセンターの駐車場で焼き物が売られていたな、そういえば...

  

旅 016
癒される空気がたっぷり「うどん きつねです」「草餅」

 

旅 015
さりげなくポストのそばにお面が掛けられている。この先府道321号和束井手線を横断し、いよいよ「地蔵禅院」のエリアへと入っていく。満開ドンピシャのスター桜だ。

 

    2011年4月4日 散策


綴喜郡井手町 2011.4.4の行程MAP