車をさらに正門方向に戻し、壇上伽藍の無料駐車場に停める。高野山はそれぞれに無料駐車場(一部有料)が整備されていて、シーズンオフなら何のストレスもいらない


壇上伽藍は奥の院とともに高野山の二大聖地と言われていて。真言密教の根本道場のために弘法大師が創建した密教伽藍。壇上伽藍の壇上は、諸堂が集まっている場所のこと、伽藍は寺の建物という意味をもつ。


壇上伽藍の詳細が見れます

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根本大塔 

高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、高さ50mの壮大な眺め。かの平清盛は、久安5年(1149)5月、落雷で焼失した根本大塔を再建するために、鳥羽上皇の命により清盛の父忠盛 の実質的役割を継いで、建立奉行を務めました。


そして保元1年(1156)4月29日、ついに根本大塔は完成を見たのです。 そして弘法大師と清盛公は出会ったというが...


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金堂

元は講堂と呼ばれてた、高野山の総本堂


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蛇腹道(じゃばらみち) 伽藍入り口から東塔東側付近までのびる


名前の由来は、弘法大師がほうきで蛇をはらったとか、道の両側の生垣が凸凹のためとか...伽藍側から見たショットですが、吸い込まれるような優しい絵でした。 


順に参拝をしていくにつれ、だんだんと暗くなってきました。ちょうど御社(みやしろ)、山王院あたりで灯篭に火が入り幻想的に。


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御社(みやしろ)

御代は高野山開山当時、大師が結界守護のため歓請した神社。山王院はその拝殿。

お大師さまが弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として丹生明神を勧請し、高野山の鎮守とされました。

 

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西行桜

伝説にはこのお堂を修造した記念に植えられた、西行法師手植えの桜は三昧堂の前に植わっている。


ところが以前の桜は、文化年間に枯れてしまったといわれ、現在の桜は後世のものだそうです。歌人としても有名な西行法師は、久安5年(1149)32歳頃から約30年間ほど高野山を往来していたという。 

  
  高野の籠もりたりけるころ、

  草のいほりに花の散り積みければ

  散る花の庵(いほり)の上をふくならば

  風入るまじくめぐりかこはん

                    西行

訳/庵に迷い込んだ桜の花びらが飛んでしまわないように周りを囲もう~ ぐらいでしょうか?


このあと高野山霊宝館を見学し、秘仏をしっかりと目に焼き付けました。




今回の旅、杉と線香の香りで「日本のかおり100選」にも選ばれているという奥の院は特に印象的でした。 数箇所見残したところもありますが、食べるものはしっかりと食べましたし、見るべきものはしっかりと見ました。

 


霊宝館から出ると外は雨が...寺院を参拝中は降らず、晴れ間が出てラッキーでした。 最後に酒饅頭、そして少し山を下ったところにある焼餅を買って下山しました。 


そうそう、たっぷり食べたものたちはまた「旅の食彩」にて。



                          平2008年5月13日 参拝