🔷奥の院 弘法大師御廟


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壇上伽藍とともに高野山の二大聖地で、弘法大師の眠る霊廟がある。

奥の院への入口は玉川にかかる御廟橋 /ごびょうばし。参詣する人たちを弘法大師が迎え見送る場所といわれ僧侶が廟に向かって合掌する姿がよく見られる。


高野山② 行程MAP
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1687年10月江戸を出発し、翌年4月明石に至る俳諧紀行が「笈の小文」途中、花の吉野を経て高野山へ立ち寄った際、詠んだもの


🔹流水灌頂 /かんじょう

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水難や難産で死んだ人たちを供養するためのもので、36枚の橋板と全体を1枚と数え、金剛界三十七尊を表す。1枚ごとに裏面に種子(梵字)が刻み込まれている。

▼金剛界三十七尊の解説

玉川は霊峰揚柳山から湧き流れる川で、かつては禊 /みそぎ の場。

流れの上に立てられた卒塔婆たちは、水難や難産で死んだ人たちを供養するためのもので流水灌頂 /かんじょう という。見事に整列されている。

ここから先は撮影禁止となるので、⊳写真はこちらで

御廟橋 /ごびょうばしをまっすぐ行くと燈籠堂がある。薄暗い堂内に無数の燈籠が揺らめいて圧倒された。

⊳無数の灯籠

大師に献げる信者たちの燈明が幾万も燃えているのだ。

そのうちの二つは一千年来燃えつづけてきたという、"貧女の一燈"と"白河天皇燈"で、いまひとつは昭和23年に昭和天皇から献ぜられた昭和燈であり、この三燈が常明燈として一段と輝いている。

貧女の一燈 詳しいはなし

よく目を凝らして見ると燈籠堂の真ん中の奥に光が差し込んでいる。

承和2年/835年 3月21日弘法大師は現身のまま御入定され、弟子達が定身を浄窟に奉納して建立したという場所が弘法大師御廟 /ごびょうだ。

灯篭堂内から見るとまさに五項がさすというのはこういうものだと改めて思い知った。