河内三太子の最後は八尾市大聖勝軍寺、町の名もそのまま八尾市太子堂という。

かつてこの地は渋川の阿刀と呼ばれ皮肉にも仏教の導入に反対したと伝えられる物部守屋の別宅があった場所だ。 

そして、この地こそが 蘇我 vs 物部 の激戦の地なのだ。

大聖勝軍寺は、他の太子の縁の寺よりも「太子の匂いを強く感じる」と言う人が多いのも特徴だ。


🔷椋樹山 /りょうじゅざん) 大聖勝軍寺 
     聖徳太子御遺跡霊場二番札所 



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羽曳野・八尾1.17-18 124
聖徳太子古戦場とある

羽曳野・八尾1.17-18 125

羽曳野・八尾1.17-18 126
太子と四天王 

この寺でいう四天王とは

持国天<蘇我馬子>
多聞天<秦川勝>
広目天<迹見赤檮>
増長天<小野妹子>






羽曳野・八尾1.17-18 127


🔹山門

羽曳野・八尾1.17-18 128

羽曳野・八尾1.17-18 129
手水舎 


🔹神妙椋樹 /しんみょうりょうじゅ

羽曳野・八尾1.17-18 130
山号の椋樹山 /りょうじゅざん の由来となった出来事を表している。

物部討伐軍に参戦した聖徳太子が物部軍に追われたとき、椋 /むく の木が二つに割れて皇子の身をかくまったというのである。その椋の木が神妙椋樹として境内に祀られている。

羽曳野・八尾1.17-18 131
推古天皇は椋樹と大聖聖徳法王の勝ち軍を讃え、神妙 椋樹山 大聖勝軍寺という山号と寺名を授けられた。




🔹救世観音と平和塔の屋根

羽曳野・八尾1.17-18 133
平和塔には物部守屋と聖徳太子が共に祀られている。


🔹太子堂

羽曳野・八尾1.17-18 137

羽曳野・八尾1.17-18 136
太子堂内、植髪太子蔵。すぐそばで見れるのがうれしい。


🔹毘沙門堂

羽曳野・八尾1.17-18 138
聖徳太子の軍は信貴山で戦勝祈願をしたのち再度出陣。稲城攻略の際、神わざの働きをする者がおり、驚いた小野妹子が「いかなる化身なるや」と尋ねたという。

するとその武者は「南無多聞天」と言いながら身の丈六丈の毘沙門天と化し、紫雲に乗って信貴の山に昇天された。 感激した聖徳太子は毘沙門天を刻み、毘沙門堂に祀ったと伝えられている。

羽曳野・八尾1.17-18 139
後ろの龍といい、脇の人たちといい、すばらしくリアルな不動明王「一願不動」

胎内には大聖勝軍寺千年来の秘仏である大聖不動明王像が納められている。この一願不動に一つだけ願いごとを一心に祈願しよう。

羽曳野・八尾1.17-18 140
たくさんのお地蔵様


🔹地蔵堂

羽曳野・八尾1.17-18 141

羽曳野・八尾1.17-18 142
椿が美しく色を添える

上中下と三つの太子の寺を見て、その感触はそれぞれ違っていた。

自分の目で見て、空気に触れて、心をトランス状態において感じてみたままの上中下の感触を、あえて言うならば「安楽」「備え」「緊張」といった言葉で表しておく。

歴史の真実について私には、まったくといっていいほど確信はない。いつもいつも分かりかけたと思ったところで謎がまた現れる。

この記録を書くために調べていると、ある人のブログで、大聖勝軍寺にある厨子の中で、戦ったはずの太子を守るように剣を構える守屋がいたという。まったくもって?だ。

二人が眠る場所は平和塔、昨日の敵は今日の友と思いたい。

  2011年1月18日 参拝



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