飛鳥という地名の由来ははっきりしない。

アスカには石原や岩塊の意味があって、アスカベやアスカイには水溜まりや池の意味がある。また、アスカには鳥の翼とか、羽などの意味もある。
 

アスカという地域で代表的なのが、大和の飛鳥(明日香)、そして羽曳野を中心とする河内飛鳥だ。まだほかにも字として飛鳥という地名は存在するが、おおむねこの二つの地域に代表される。

近つ飛鳥、遠つ飛鳥という表現もある。近つ飛鳥は羽曳野市飛鳥や南河内郡太子町あたりを指し、遠つ飛鳥は大和の飛鳥を指す。都があった難波宮(大阪市中央区)からみて近いか遠いかによる。

このブログを書いている今現在、羽曳野、ようするに2度目の「近つ飛鳥」の旅は終えている。旅記録は少々遅れがちになっていて、兵庫県たつの市への二度にわたる旅記録は、まだこれから書き始めるところという状況なのだから困ったもんだ

とにかく、飛鳥そして竹内街道あたりのことがらを、少し整理しておきたい_


飛鳥が中心となった時代、飛鳥時代。その定義はというと、推古天皇が崇峻5年/592年の豊浦宮(とゆらのみや)での即位から持統天皇8年/694年の藤原京への移転までの、約100年間を日本の歴史の時代区分として飛鳥時代と称している。

この時代の大きな出来事といえば「仏教伝来」と「大化の改新」だろう。仏教伝来は欽明天皇時に百済から伝来したのは明確で、いつかというと538年説と552年説に意見は分かれている。 


当時は竹内街道、長尾街道を使って「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」が繋がれていた。そして聖徳太子は生前に己の眠る場所を「近つ飛鳥」に定めた。法隆寺でも橘寺でもなかったのだ。

この旅の最後に「近つ飛鳥博物」を訪れてみた。 出土品や歴史資料がたっぷりで一日居ても大丈夫だと思った。



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安藤忠雄氏の設計による斬新な印象

 

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通路先の紅葉が絵のよう
 

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大和飛鳥、葛城あたりの古くからの勢力と新興勢力(ようするに天孫一族)、そして出雲や丹波・丹後、舞鶴との繋がり。竹内・長尾両街道のおもかげと史跡。おおまかな人の移住はこの時期に定まっていったのかもしれない。 

自分のルーツはいったいどこなんだろう? 父親の里は三重県伊賀上野、今日訪れた羽曳野にも「伊賀」というところがあった。何か関係があるのだろうか? 好奇心をエネルギーにこの先も歩いてみることにする。

 

         2010年12月7日  

 
二上山の裏と表 2010.12.07の行程MAP

今後の旅行記録予定

🔹たつの市・城下町散策 12月20日~21日旅行記

🔹たつの市・新舞子浜 夕日と朝日 1月4日~5日旅行記

🔹羽曳野・八尾「近つ飛鳥」を歩く1月17日~18日旅行記