二上山の西側には歴代天皇の墓も密集している。一度奈良で葬られた跡、あえてこの地、太子町周辺に再度葬られることになった方もいる。やはり奈良の都からして西方浄土の方角ということなのだろうか 

そんな磯長谷を「王陵の谷」と呼ぶ。

このたびも数名の天皇稜に行ってみた。どう自分の心が反応するかいつもながら楽しみなのだが...


🔹用明天皇稜

 

SBCA0036
用明天皇稜|春日向山古墳 
⊳第31代 用明天皇とは 




🔹敏達天皇稜
 

SBCA0040
敏達天皇稜 | 太子西山古墳 | 奥城古墳 
王陵の谷唯一の前方後円墳
⊳第30代 敏達天皇とは



SBCA0041

天皇陵まではおごそかな道が続く。 

 

SBCA0042

鬱蒼と茂る天皇稜の森、きれいに整えられた白砂。霊地には、いつもトランス状態で足を踏み入れるが、ここでは心が激しく動いた、先の用明天皇陵ではなかった動揺を感じた。それも涙腺に..なぜ? 

 

🔹推古天皇陵

SBCA0049
推古天皇陵 | 磯長山田陵 
⊳第33代 推古天皇とは


  

SBCA0052
真正面のデザインはどの天皇陵も同じだ。 

 

SBCA0053
天皇稜から西側を見降ろす。しばしおだやかな風景に見入ってしまった。

推古天皇稜のある磯長谷では、興味深い言い伝えがある。

天皇稜から南東に200mのところにある二つの石室を持つ「二子塚古墳」こそが推古天皇と竹田王子の墓であると..そこは何の規制もなくそっと地域に溶け込んだ感じだった。 




🔹二子塚古墳


 

SBCA0054
マムシ注意!(怖っ)

SBCA0055

 

SBCA0056
天皇家のものとしては少し貧相な気がするんだけれど

東側の石室にはカマボコ型の石棺が残っている。

こうして歩いてみて、この太子町にある天皇稜や、聖徳太子稜など、考えてみればすべてが蘇我の血が濃い天皇家だと気がついた。⊳蘇我氏とは

二上山の雄姿は、太古の昔と今もきっとあまり変わってはいないはず。奈良に行くたびに二上山を眺めて、太古の昔の日本の様子を想像して、そして歩いて見たもの、感じたものを記録しておこう。 

 

      2010年12月6日 黙祷


二上山の裏と表 2010.12.06の行程MAP