今回の旅は、奈良と大阪の県境にあるニ上山の西と東を巡ってみる。かつて奈良側からしてみればニ上山の向こうは黄泉の国、亡くなった方を葬る場所としてみていた事実がある。では二上山の西側(大阪側)はどうだろうか? どんな空気が漂っているのだろうか? 

まずは町の名前にもなる聖徳太子の眠る場所を訪れてみた

磯長(しなが)山・叡福寺 
聖徳太子御廟 




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気持ちいい晴天の叡福寺、南大門へ 

 

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南大門の仁王を見る  ⊳境内図

 

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手水舎はシンプルなもの。後ろは金堂
 

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多宝塔(重要文化財) ⊳境内図

1652年/承応元年建立。内部には釈迦尊像や大日如来像等を安置、柱には四天王像が描かれている。拝観不可。 

 

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金堂 ⊳境内図

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金堂の側面


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聖霊殿/太子堂 桃山時代 ⊳境内図

 

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南大門から境内に入ると廟前にある「二天門」まで遮る建物は無い。ただ不自然な大きな灯篭が一基、境内の真ん中にある。

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二天門の前から南大門側を見た絵 ⊳境内図

 

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二天門に立つ天像 

 

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丘陵を利用した円墳で、高さ7.2m経54.3m、内部は横穴式石室 

 

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聖徳太子御廟 ⊳境内図

無駄なものがまったく無い精悍な建物。わかりずらいが扉の上には阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額がかかっている。この額は三骨一廟の意味を表しているという。

三骨とは「聖徳太子」、母の「間人(はしひと)皇后」、そして太子の妃の「膳手(かしわで)姫」をいう。 

 

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屋根も三重に重なる 

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浄土堂 ⊳境内図

慶長2年(1597年)、伊藤加賀守秀盛の再建。御本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊

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見真大師堂 ⊳境内図

明治45年(1912年)建立。本尊は親鸞聖人の坐像

 

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鎮守としてたくさんの神々が奉られている(次の写真参照) ⊳境内図

   

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そうそうたる顔ぶれだ。太子より後の時代の菅原道真公が興味深い。

唯一、鎮守の神社の場所のみが緊張感を感じた、あとは全般に、おだやかな気分にさせてくれる空気が流れていた気がする。 


太子の墓は宮内庁の管轄で、ようやく研究者たちに公開されたのが2002年のことだという。ところが、肝心の棺があったあたりには明治時代にコンクリートで固められたままで入ることが出来ないままのようだ。なにか理由があるのだろう。

この地は太子が生前から自らの廟と決め、620年に墓所を造営したという。それが本当なら太子は安らかに眠りになられていることだろう。


     2010年12月6日 参拝


二上山の裏と表 2010.12.06の行程MAP