🔷児島の大崎(玉野市)大崎八幡宮
ここを「宮山」と言い、元はといえば島であったとされる。また、付近は海流渦巻く所であった事から「渦の宮」とも称されたと言う。
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昭和32年ころの掌水路建設工事の際に、↑の写真の一の鳥居より100m北方にある大崎小学校近くに流れる干拓地用水路から鳥居の両脚の下部が発見された。
それは平安末期のものであり、武士として初めて太政大臣となった平清盛の父である、平忠盛が備前国司の折、平家水軍の守神であった市岐島姫(イチキシマヒメ)を祀った時に造られたものだそうだ。
ようするに海中に立つ鳥居だったわけだ。
その後の清盛が厳島神社を建てたのは、ここにあった父の神社がモデルとなったに違いない。そう思わずにいられない。
歴史的大発見当時の経緯を、良く知る方のブログがたいへん興味深いので記しておく
⊳大崎八幡宮(渦の宮)
二の鳥居
神門
真正面に祠が見える、祓い禊ぎの神だろうか?
何も表示がなくわからない
大玉持ちの狛犬と拝殿
本殿
平家滅亡後、源氏の世になり「八幡神社」と改名、祭神はよって誉田別命(ほんだわけのみこと)
平家の時代は平家水軍の守神であった市岐島姫(イチキシマヒメ)を祀る市岐島姫神社と言われたという。
ばらばらの岩の山に石の祠、不明。
大己貴神と天照大神の石塔は今回の旅では、随所で見られたものだ。
横には石を集めてコンクリートで固めて、さらに大きな石の上に小さな石の祠、詳細不明。
この大崎天満宮は児島を知るためには重要なポイントだと思う。
本文中のリンク先のブログで詳しく解説されている通りならば、日本最古の木造鳥居があった可能性は極めて高いと言える。
また清盛の父ゆかりの場所ということも、2012年度の大河ドラマを通じて語られるかもしれない。楽しみにしておこう。
🔷旧閑谷学校
さて、三回目の訪問である。椿の絨毯を見たいがために、ここ三回の岡山入りで必ず立ち寄った。今回の旅もこの場所に寄ることで決めた感もある。玉野市から車で一時間と少し
旧閑谷学校 椿山
ここを見るだけなら無料で楽しめる、先月の梅の時期も無料区域だ。
空は今にも降りそうな気配。昨夜の雨嵐できれいな花が、そのまま落ちている。3回目の訪問で天は味方した
国宝「閑谷学校講堂」をバックに
探し探して一番の場所はここ、入り口から右に折れたあたり。落ち椿の密度が高く、枝振りのいい椿がある。白い塀も重要な役割を果たしてくれている。とても美しい。
今年の椿は例年よりずっと遅かったという。今年二度にわたり「いつごろが見ごろでしょうか?」と訊いて出直した、ここにずっといる売店のおねえさんでさえ読めなかったぐらいですから。 ...完。
2011年4月19日 参拝と椿
古の児島にて 2011.4.19の行程MAP
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コメント
コメント一覧 (8)
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