美作滝尾駅から市内に戻る途中、あえて農道を走った。どの村だったか忘れたが、木彫りの地蔵様が置かれた交差点があった。

旅 097

旅 096
いつから置かれているのだろう? 

旅 098
石碑の破片のようなものを祀る祠。 

旅 110
時計が町中に置かれているのも、このあたりの特徴だ。

このあと車走らせながら3~4箇所は見たなぁ。子供たちがここで集合するためかな? 


🔷津山城 鶴山公園

旅 111
さくら祭り(4月1日~15日)のちょうちんが準備されている津山城へのエントランス。

津山城公園を別名の鶴山城(かくざんじょう)にちなみ「鶴山公園」と呼ぶ。

 

日本100名城
日本さくら名所100選
日本歴史公園100選
に選定されている。

旅 112
石段を登りつつ右側を見ていたら、十字のはいった瓦屋根があった。

旅 114
松尾芭蕉句碑

明治36年になってから、当時津山の俳壇の方々が立てたものである。

「入相の鐘もつかれないこの里では、里人は何を頼りに春の夕暮を過ごすのであろう」という意味。

このこの句は日本各地に句碑として残されているようだ。それにしても少し殺風景な場所にあるなぁ

入相とは日が山の端に入るころ。日の暮れるころ。たそがれ時。夕暮れ。この句碑の先に「小動物園」がある。孔雀や鶴がいたような...

旅 115
鶴山館

明治38年/1905年に旧藩 修道館(藩の学校)の建物を移築した物で、内部には天守が在りし日の津山城の古い写真や絵図などが展示してある。

また、唯一現存する津山城内の建築物として幕末の津山を偲ばせる貴重な建物といえる。



旅 116
この摩訶不思議な文字の先は何だろう? 藩内の教育に尽力された方の碑のようだ。

旅 117
蘇った備中櫓

「築城400年記念行事」の一環として復元されたもので、2005年/平成17年3月に完成した。

津山城は美作国にありながらなぜ備中櫓と呼ぶのか? 少し調べてみると櫓の名称の由来は森家と池田家の深い縁戚関係に起因するものらしい。



備中櫓は本丸御殿と廊下でつながっていて、津山城本丸御殿の一部として、そして藩主やその身近な人のプライベートな生活空間であったと考えられている。他に類を見ない櫓なのだ。

旅 118
櫓の中に入ると「メイキング・オブ・備中櫓」みたいなショートムービーを二本見ることが出来る。

床はすべて畳敷きなので、ゆったりと楽なスタイルで鑑賞できる。

旅 120
本丸に駆け上がる最期の門「切手門」があった場所

旅 122
一段と高い位置の「鐘楼全自動撞木装置」

津山では慶長12年1607年から当初5年は鐘で、そののち太鼓での時報が約260年間に渡り時報を知らせ続けていた。

明治四年に再度鐘になるが諸般の事情で途絶えたままだった。そしてなんと今は完全復活。その流れは ↓のサイトが詳しい。


⊳津山城(鶴山公園)鐘楼全自動撞木の設置について

「時間を大事にするんだ」という教え。町中にある時計はそれを意味しているのかもしれない、きっとそうにちがいないと今思った。

旅 123
備中櫓の中の階段(御上段へ)2005年3月に完成した櫓内はピッカピカ。

旅 124
「天守閣」のあった場所から津山市街を見る。いつかここにも天守閣が復活するのを楽しみにしておく。

旅 125

旅 126
本丸の一際目を引く「枝垂れ紅梅」

タイミングが合わず「さくら」のシーズンには来れなかったが、このあと歩く「城東街並保存地区」周辺も含め、なにかと落ち着く場所が多いお気に入りの街となった。

森本さんの家紋が私と同じ「丸に橘」だということもあるし。勝間田「郷土美術館」閑谷学校の椿については4月18日に再度行く予定を立てている。今回は見れなかったのでね。

  2011年3月22日 登城



勝間田と津山市 2011.3.21-22の行程MAP