🔷大神(おおが)神社 

鎮座地は、昔、土師之森と呼ばれており、当社は「土師宮」とも称されていた。

現住所は岡山市四御神(シノゴゼ)字土師之森、四御神(シノゴゼ)というのも意味ありげな地名だ。

一説によると、大神朝臣という人(太田多泥古命の末裔)が奈良時代末期に、大和国大三輪神社の分霊を勧請したのが始まりという。


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岡山・玉野・瀬戸内 314
古代には、当社の背後の山(惣堂山)上のサイオク(才奥or歳奥)という地に祀られおり、現在のこの地は二の鳥居の場所だったそうだ。

一の鳥居は当神社から約500m南側の県道沿いの住宅街入り口にある。

大神神社一の鳥居
一の鳥居

太田多泥古命といい「土師」といい、この神社に関わる名前から出雲~奈良の息吹を感じる。

大神神社随神門
随神門

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拝殿  

殿内はシンプルで靴を脱いで上がることができる。 

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拝殿内に掛かる大神神社四柱の拝画(北嶺作画)

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祭神
大物主神
大穴持神
三穗津姫神
少名日古那神

四柱ということなので大物主神と大穴持神は、同神という説が多い中、この地ではおそらく別神とされているのだろう。

三穗津姫神は亀岡の出雲大神宮にも夫の大国主命(大物主神)と共に祀られている。また、少名日古那神は大物主神の国造りの協力神。

この四柱の神々がこの地、四御神(シノゴゼ)の名の由来だという説もあるが、柿本神社、梨本神社、松尾御崎神社とここ大神神社の四つの社を由来とする説が有力だ。

柿本、梨本、松尾は当神社の周辺の字の名と言われている。

元来、柿本明神、梨本明神(梨子本)は、備前国神名帳にも記載されている古社だが、当社の由緒ある末社。以前は当社の南の馬場道左右に鎮座していたが現在は境内にある。 

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何か文字が彫られている手水舎

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狛犬は左上を睨んでいる 

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こちらは右上、両狛犬とも同じところを睨んでいる。

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本殿 

文化11年/1814年建立、ここの社も木の組み具合は見事で美しい 

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本殿の後姿、木々の緑と本殿の茶が見事な絵となっている  

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本殿の西側に備前焼の手負いの狛犬4匹が群れを成していた。やはり陶器製は耐久性に問題があるのだろう。見ていてかわいそうになる。

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拝殿の東隣には「松尾御崎宮」がある。祭神は大國主神猿田彦神須佐之男神

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柿本神社 

境内の西南の位置、祭神は事代主命柿本人麻呂

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木之山神社 

拝殿の西、祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)

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天満宮・霊社

本殿の西、祭神は菅原道真(土師氏の末裔)

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稲荷神社
倉稲魂神/うがのみたまのかみ

八幡神社
応神天皇=誉田別尊/ほんだわけのみこと

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梨本神社 

拝殿の東、御祭神は(味須岐高毘古事禰神/あじすきたかひこねのかみ)、梨本(梨子本)明神。

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若宮社 

随神門の西側、拝殿から見れば南南西、祭神は 太田多泥古命=若宮

あと、随神門の東側に鳥居があって「宗像神社/祭神=宗像三女神」が

そして池の中央に水天宮があった

水天宮祭神
天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
安徳天皇
高倉平中宮 (たかくらたいらのちゅうぐう)
二位の尼 (にいのあま)
が祀られていた。


  2011年2月23日 参拝



吉備国の真髄 2011.2.22の行程MAP


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🔹追伸  

「大神(おおが)神社」の魅力に引き込まれながら、この記録を書きつつ3月の21~22日と再度岡山に向かう計画を考えている。 

奈良の 薬師寺大池が万葉で詠われた「勝間田池」ではないか?という一説を調べていてたどり着いた、岡山美作市と津山市の間「岡山県勝田郡勝央町勝間田」、なんと「勝」が三つもある場所に強く惹かれ、コースを組んででみよう。 

もちろん見頃の時期に岡山へと決めていた「旧閑谷学校のツバキ園」がそもそもの柱なんだが。

『《神戸から一泊・岡山》~吉備国の真髄を見た』は本編が最終章となります。次回からは3月7~8日に訪れた「奈良・月ヶ瀬村梅渓」と「京都相楽郡・笠置町」の驚きの山寺を記録していく。