深谷 /みたに の滝から西へほどなく三石明神社につく。備前市三石というレンガで有名な町だ、土質が、窯業にふさわしいのだろう。

🔷三石明神社
(別名:孕み石神社)


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⊳神功皇后と牛窓とその伝説 

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小さな祠に小さな孕み石 /はらみいし が、その前の正方形の枠組みの中に大きな孕み石が置かれ、祀られている。 

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境内には大きな石がたくさんある

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芭蕉の門弟志太野坡 /しだ やば の句碑が立つが内容不明

 
  2011年2月1日 参拝 



この日の行程MAP
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🔹追伸
このブログを書くにあたり、吉備国と神功皇后とのつながりを検索していて、非常に興味深い本を見つけてしまった。岡山とその近郊からなる吉備国。まったく無知なのでワクワクしている。

 

吉備の国 岡山ゆかりの女性たち

<はじめにより引用>
岡山の女性史をひもといてみると、 まだ日本国の形態が未完成な倭の時代から始まる。 吉備国では大和に匹敵する温羅の王国がありそれを支えた阿曽媛がいた。

その後、 大和政権の仲哀天皇・神功皇后が牛窓に寄港したり、 神功皇后の皇子の応神天皇と兄媛、 仁徳天皇と黒日売、 雄略天皇と稚媛が善きにつけ悪しきにつけ吉備国と大和政権との繋がりができて岡山女性史の夜明けは吉備の三媛 によるものと考えられる。 

奈良時代に入っても吉備の女性たちが中央政府内で活躍していたことが、木簡などで窺い識ることができる。



また、 和気清麻呂の姉和気広虫は孝謙女帝の信任厚く、 その後の平安遷都という大事業を成し遂げた桓武天皇と、それを補佐した和気清麻呂との関係について、 桓武天皇の母高野新笠と和気清麻呂夫人とが姉と妹であったことが中央政府内での清麻呂の働きを助けた。





鎌倉時代には、 新見の庄のたまがきが民間女性として浮かび上がる。



室町時代には、 応仁の乱のきっかけとなった、三大悪女とも言われる足利義政の妻日野富子も岡山に関係があったようだ。どうもお墓があるようなのだ。




戦国時代には備前の宇喜多直家とお福の方<円融院、戦いの中で死んでいった戦国城主夫人たち。豊臣秀吉の養女で前田利家とお松の方の三女・宇喜多秀家夫人豪姫





江戸時代には、 徳川家康の娘で池田輝政の後妻・小田原後家富子、 徳川家光の乳母 お福・春日局 池田光政の妻・徳川家康の孫娘千姫の娘勝姫<本多勝子>。

▼富子


▼勝姫


*岡山においては、二人のお福 <宇喜多秀家の母・徳川家光の乳母)>と 二人の富子<足利義政の妻・池田忠継の母>が有名。

*古代、天皇妃として吉備の三媛などがあったが、 昭和の御世に天皇家から厚子内親王が元岡山藩主池田章政氏の孫・池田隆政氏に降嫁された。

▼厚子内親王


明治時代から現在まで、 政界から芸能界まで広範囲に岡山出身の女性が活躍中であるが、 小誌では、 吉備国・岡山ゆかりの女性たち二百人に登場して頂いた。

最後に追記として我が国の女帝についてを記述した。 

まことにもって興味深い一冊だ