🔷特別史跡 旧閑谷学校

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⊳案内図

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🔹公門

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 ⊳案内図


🔹飲室門 

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⊳案内図

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⊳案内図

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🔹国宝 講堂  

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⊳案内図
⊳講堂についていろいろ

この講堂で論語の授業は今も行われている。遥か300年以上前と同じ光景が今でも見ることができる。学生たちは皆靴下を2枚履いているそうだ。



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⊳池田光政という方は、いったいどんな人だったのか? 

この旅が終わり、一月後の岡山再訪で訪れた後楽園にしてもしかり、完璧な成しようである。 




🔹小斎

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講堂の南側にある  ⊳案内図

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🔹飲室

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講堂の西側にある ⊳案内図

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囲炉裏?

 

🔹飲室門

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飲室門の外観 ⊳案内図

 

🔹文庫 

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ひとつだけ異彩を放つ


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この不自然な丘には意味がある↓

 

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🔹学房跡

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日除山の脇を歩いて行くと校舎につく。わが母校のような建物に感動を覚えた。内部は資料館になっている。きしむ階段や廊下が懐かしかった。 

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学校を見て何が楽しいんだろう?と思っていたから旧閑谷学校は今まで岡山に来てもスルーされてきた。

岡山、いや吉備の国として歴史を冷静に見ていくうちに、とてつもない大きな1ページだと気がつき反省しきりだ。そしていざ目の当たりにすると想像以上の素晴らしさと歴史に驚くばかりだ。


大きな公共事業をことごとく仕上げて、徳川幕府に対しても物を言える力を持った殿様を人々は心から尊敬していたのだろうが、一方厳しすぎるくらいの質素倹約令が大衆を苦しめたのも事実のようだ。

などなど思惑は巡る池田の殿様ではあるが、藩士及び大衆教育に関して言えばすばらしく大きな功績だったと言えるのではないだろうか。


いい方が不適切かもしれないが、狂気じみるほどのこだわりを、いたるところに見ることができる。

この閑谷学校でも何気なしに見ているが、外壁代わりの石組みのすばらしさなどの精密さは腰を抜かすぐらいの完成度だ。

 

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重要文化財 石塀

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この石塀は閑谷学校の敷地を一周し、渓流に沿い山腹を巡って765mに及ぶ。形の異なった石を巧みに組み合わせた打込みはぎ式の石築で1701年に完成した。 


とにかく石の組み合わせ精度がすばらしい。後楽園にも元禄初期に巨岩を九十数個に割って割って運び、元の形に組み上げた大立石があるが、とにかく池田光政のやることは大胆かつ精密で凄い。

一般に旧閑谷学校に話題は集中するが、池田光政公は閑谷学校<1670年>に先がけ寛永18年/1641年全国初の藩校花畠教場を開校している。




では池田光政は旧閑谷学校をどのような考えを持ってつくったのか? 三つの聖域とその精神にスポットを当ててみる


聖域①

🔷聖廟<孔子廟とも西御堂とも>

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⊳案内図

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👉ポイント
ここで少し儒教の知識を 

光政は江戸幕府が推奨し国学としていた朱子学<理学>を嫌い陽明学<心学>を藩学とし実践した。

この陽明学は自分の行動が大切であるとの教えで、これを基本に全国に先駆けて寛永18年/1641年藩校花畠教場を建設。

その後に身分階級に関係なく学べる庶民のための閑谷学校をつくるに至る。

明治維新の折、この陽明学は吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山、はたまた三菱財閥の創設者・岩崎弥太郎などに強い影響を与えた。

己の私欲、執着を良知と勘違いして、妄念を心の本体の叫びと間違えて行動に移してしまうといったように、ひとつ間違えば危険な学問だと言われているのが陽明学だそうだ。

最終的にすべては孔子の教えに繋がるのだが






🔹大成殿/本殿

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1684年建立

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屋根瓦はやはり備前焼

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本殿への渡り<弊殿>は二つある

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この厨子に1701年鋳造の孔子像が安置されている。

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祭壇にいるのは体が馬、顔が龍。

「体が馬、顔が龍」で検索すれば龍馬または麒麟と出た、坂本竜馬の名づけはここから来ているのだろうか..



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見て分かると思うが、一つの大きな石を削って造っている。台座に乗せているわけではないところが凄いこだわり。

🔹釈奠 /せきてん とは

孔子とその弟子を祭る大典をいう。日本では大宝元年/701年に初めて大学寮で行われ、室町時代には衰微したが、江戸時代に幕府諸藩が再興、現在も東京の湯島聖堂↓などで行われている。




聖域②

🔷閑谷神社<芳烈祠とも東御堂とも呼ばれる>

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⊳案内図

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社殿は拝殿、弊殿、本殿と一直線に奥に続き、内部は金色に輝く光政像が安置されているが、建物は聖廟に比べて一まわり小さく、1m低く建てられ、孔子に対して礼を尽くされている。

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本殿への渡り<弊殿>は一つ。御祭神は池田光政、池田輝政、池田利隆。聖廟と同じようにこちらにも繋性石があった。 

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聖域③

🔷椿山

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⊳案内図

ここは入場して最初に目がいった場所だった。

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もうまさしく究極の神々しさ

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この両サイドの椿が満開になった状態を想像してみて欲しい。再度ここに来る一番の理由になった。

2022年追記、二度目もタイミングが合わず三回目にしてようやく落ち椿の絨毯を見ることができた。


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椿のアーチに導かれた先は池田光政の供養塚

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聖廟の入り口にあったのは桜の巨木じゃなく「楷」見事な紅葉の姿はリンク先↓の写真で

⊳楷 /かい の紅葉
 

3月21~22と3回目の岡山への旅を計画する。椿はどうしても見たいのでね、それと秋は楷の紅葉だな

  2011年2月1日 



この日の行程MAP
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