🔷萬松山 興禅寺 
  臨済宗妙心寺派




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悲運の武将、木曽義仲のお墓がある。

🔷木曽義仲


義仲は久寿元年/1154年武蔵国(埼玉県)大蔵館で生まれた。幼名駒王丸。

二歳の時父義賢は、兄の子義平に討たれたが、斉藤実盛のはからいでこの近くの上田にあった中原兼達の屋敷にかくまわれて成育した。元服の後、宮の越(日義村)に館を建てて移った。

治承4年/1180年、以仁王の平家追討の令旨を受け、関東、北信濃の兵を集めて北陸より京都に攻め入り平家を追討。征夷大将軍となり、朝日将軍と称せられた。

1184年頼朝の軍に攻められ、近江 栗津原で討ち死にした。年31才。


 ~「武田家の史跡探訪」より引用


墓としては近江の義仲寺が有名だが、ここ興禅寺には「遺髪を納め、分霊がここに眠る」とある。

関ヶ原の戦ののちに、木曽家の旧臣山村甚平衛良勝が木曽代官として福島に赴任、興禅寺を山村家の菩提寺として庇護し再興が果たされた。

町内の長福寺大桑村定勝寺とともに木曽三大寺と言われている。





🔹勅使門

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昭和2年の大火により焼失、現在の門は1954年に復元されたものらしい



🔹昇龍の庭〈登龍門〉小口基寛作庭

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中国黄河の上流にある三級岩というけわしい滝を、鯉が登って龍になるという言い伝えを表現した庭園。静寂と手入れの行き届いた様はお見事。 



🔹宝物殿

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平成11年に建立された宝物殿へ、ここで拝観料500円を支払う。

木曽最古の古文書など木曽の歴史、文化、芸術を見ることができる。中でも宮崎在住の日本画家、立山周平の連作襖絵が感動的。




立山周平氏は、四季折々の作品を書いておられ、現在は「夏の作品」を製作中とのこと、近々お披露目の日が あるという。

▼立山周平氏の作品が見れるサイト
 



🔹看雲庭

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2020年追記/2019年/平成31年国の登録記念物に指定された。作庭家重森三玲氏により1963年に造られた枯山水庭園。

京都「龍安寺」で有名な「枯山水(かれさんすい)と いう様式だ。大きさは日本一とも東洋一とも言うことだが、歴史は昭和38年作ということなので比較的最近のものになる。

このような枯山水は時間、空間を越えて、静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい。 比叡山山麓の白川砂を使っているという。



🔹観音堂

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本尊は義仲公が深く帰依したとする金剛仏で推古朝時代の作と伝えられる。昭和30年に再建。



⊳半蔵門ミュージアムの館長が、心に深く響いた53体を語る


🔹本堂

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本尊は釈迦如来像


本堂は雄大な木曽檜造りの建物、前廊下も檜張りのすばらしさ。手前に写っている木曽義仲公手植えと言われている枝垂れ桜は立派なので桜の季節も◎

義仲公と木曽家代々のお墓にお参りをすませて。寺をあとにした。見所のたくさんある興禅寺は木曽の名所として覚えておきたい。 

  2006年9月18日


🔹前略義仲様

あなたが無念の最期を迎え822年後の我々の時代では、あなたの力と功績をたたえる者が大勢いるのです。そして日本を代表する詩人の芭蕉さんは近江のあなたのお墓のそばに眠っています。芭蕉さんもこの木曽を訪れ詩をたくさん詠みました。私はまだうまく詩は詠めませんが、この美しさを伝えていきたいと強く思いました。それではまた


初日17日は中津川から妻籠宿まで


2日目18日は与川の秋月 古典庵跡から徳音時まで、3日目19日は松本城~諏訪大社まで。


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