最高のドライブ日和5月3日、車を西へ走らせた。

120年ぶりの大掛かりな修復を終えたばかりの観音堂と、日本一古いと言われる農村歌舞伎舞台を目指す。


場所は神戸市北区淡河町

かつて淡河町は湯の山街道の宿場町として栄えた場所であり、そのきっかけとしては皮肉にも秀吉の三木別所攻めの折の長期滞在は見逃せない。




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🔷南憎尾観音堂

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南憎尾観音堂

車はすぐそばまで乗り入れることができる。

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この観音堂でも浄瑠璃、歌舞伎が催されていたのだろう、この地に貢献された太夫「鶴沢大助太」の碑がアプローチの一等地にある。

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120年ぶりの大改修ほやほやの観音堂

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過去の改修の記録や詳しいところは↓のリンク先を

⊳兵庫県指定重要有形文化財 南僧尾観音堂

施工を引き受けられた工務店のサイトにメイキングのスライドショー↓がある。貴重な記録だ。



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正式名は恒例山 新善寺 承和7年/840年草創

時計回りに境内を一周してみる。ほとんどの表示板が劣化のため読み取り不可能だったのが残念

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境内に足を踏み入れてすぐ左手にあるお堂

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石段の先の覆い屋に鎮守の神

左に振り返る↓

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いくつもの石塔が並ぶが詳細不明、後ろに観音堂

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右手にも祠が並ぶが詳細不明

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ちょうど観音堂を背にすると竹と存在感のある木々

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正面に向かって左手の縁側、ここに腰かけてお昼ごはんとさせてもらった。


🔷北憎尾農村歌舞伎舞台


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観音堂から数分でつく

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厳島神社の境内に舞台はある。正面に見えるのが平成6年に再建された厳島神社だ。

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北憎尾農村歌舞伎舞台

安政6年/1777年墨書鏡柱に残ることから、現存する歌舞伎舞台の中では最も古いものとされている。2014年2月より10月にかけて平成大改修が行われた。

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厳島神社

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龍なのか?狛犬のニュアンスもある

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大改修に貢献された方の名前

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厳島神社の左手の土手にあった鳥居、下の巨岩を祀るためなのか?

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厳島神社の右手に石を重ねた祠らしきもの。お茶と
(しきび/しきみ)はまだ新しい

観音堂の南僧尾、農村歌舞伎舞台の北僧尾とこのあたり数多くの僧坊があったことに由来するという。

淡河という場所、秀吉を敵視するイメージと、秀吉が来て賑わいをもたらしたという皮肉な歴史が今もやはり混在しているような気がする。

三木攻めからしばらく歴史は下り、戦火により観音堂の屋根が焼けたという。そしてその修復の命を下したのが豊臣秀吉だった。村人たちは複雑な気持ちで頭を下げたのかもしれない。


秀吉本陣跡、半兵衛の終焉地の記録

↓のMAPに秀吉本陣跡、竹中半兵衛の墓、三木城跡を付録しておいた。

  2022年5月3日 快晴


南憎尾観音堂と北憎尾農村歌舞伎舞台MAP


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