799年/延暦18年4月9日、布引の滝の大洪水で崩れかけた場所から、村人の刀祢七太夫が御神体を背負い、7,8日ご鎮座地を探しめぐっていると、突然御神体が重くなったため「これは御神意であろう」と安置したという。その場所が今の生田の杜である。
洪水までの間は砂子山/通称円山で約500年と熊内郷に遷座してからの100年を数える。

いったい西暦201年神功皇后による、生田神社創祀の霊地はどのあたりなのだろうか?

いいろいろと考えながら砂山、布引山と思われるあたりを歩いた。


🔷徳光院




徳光院のある場所は文武天皇初年/697年頃、役の小角が布引の滝において修法し、馬頭観音を祀り創建した寺、生田神社神宮寺であった布引滝勝寺(通称滝寺)の跡地といわれる。

滝寺は天正七年/1575年、花隈城主荒木村重謀反に依る滝山城落城の兵火によって、悉く焼失。

そののち神戸川崎財閥の創始者である川崎正蔵が1887年から1905年にかけて私財を投じて建立し、大正9年/1920年市内熊内町に移り、今は真言宗の名刹として栄えている。







徳光院
布引の滝から道しるべの通りに降りてくると巨大な木々の隙間から鳥居が二つ見える。福徳弁財天社と五社稲荷大明神社だ。

結構きつい坂を下りてみると右手から強烈な赤が視界に飛び込んでくる

山門
徳光院山門

明治40年/1906年播州より移築した朱楼門であり、鬼瓦に明和3年/1766年の文字があるところから見て、そのころの建物と思われる。現在の山門は平成29年/2017年修復改装された。

リボンの道
山門から二つの鳥居に向かって歩くと山麓リボンの道なる石標が



二つの鳥居
左が福徳弁財天社、右が五社稲荷大明神社どちらから入ろうかと迷ってしまう。徳光院と合わせて同じ敷地内にある。


🔹
五社稲荷大明神社

五社稲荷大明神社

五社稲荷大明神社2
二の鳥居

ちょうど光が射して幻想的な一枚になった

五社稲荷大明神社3
拝所の後ろに石段がある

五社稲荷大明神社4

五社稲荷大明神社5

赤い祠
稲荷神社のすぐ横に赤い祠、詳細不明


🔹福徳弁財天社

福徳弁財天社
開運福徳弁財天と石標にある

福徳弁財天社2
拝殿と緑の美しさ

福徳弁財天社拝殿
拝殿

辨財天の神額

福徳弁財天社本殿
祭神

辨財天/弁才天



福徳弁財天社側面と筆塚

福徳弁財天社筆供養

句碑



🔹徳光院

東門
東門

大正12年/1923年に当山2世台岳老師の遺金をもとに3世精拙老師が建立した大本山(天龍寺)西の総門を拝領し、昭和13年/1938年の阪神大水害で流出した門の跡に移築したもの

不許葷酒入山門
不許葷酒入山門/くんしゅさんもんにいるをゆるさず



徳光院石段
石段に味わい深い枝ぶり

狛犬
ワイルドな狛犬

狛犬2

本堂と石碑
本堂

本尊
十一面観世音菩薩像(鎌倉時代作)

安置
羅漢石仏十数体(前庭)

掲げられた山号「大円山」の額は、松方正義(1835~1924年)の揮毫によるものだ。手前の石碑は詳細不明。




経蔵
経蔵

▼経蔵とは?


多宝塔と石像
鐘楼と石像

鐘楼は寛永8年/1631年に三木市の伽耶院に建立されたものを1907年にこの場所に移築した



多宝塔
多宝塔

多宝塔解説

納骨堂
納骨堂

納骨道と石塔
納骨堂の横に石塔

羅漢石仏十数体
本堂下に羅漢石仏十数体が

地理院の地図
おそらくこの地図の真ん中の布引山とある小山が生田神社の最初の場所だと思う。ここで約500年、そして少し南側の熊内郷にて約100年、そののちに生田の杜へ。

  2022年11月7日 参拝





🔹裏ワザ! 覚えやすいメールアドレスでEメール上級者の仲間入り! 
🔹じゃらん⊳料理、温泉、おもてなしクチコミで選ばれた人気宿ランキング