かつての生田神社の神域領内で供米/くまい地だった熊内/くもち、滝寺と呼ばれ滝勝寺の鎮守として寺伝によれば文武天皇の時代に役小角が建立したという。


2022年11月に布引の滝を歩いた折、その背景を調べていて行ってみようと思った場所。それと少し浜側に歩いた所にある、かつての生田神社の一の鳥居と言われる「旭の鳥居」を見る



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熊内八幡神社
布引中学校のそばから南に下るとここに来る。

真西には布引の滝、北にはかつて瀧寺/滝勝寺があったであろう瀧寺山から苧川/おがわが流れ下る。布引の滝から流れ下る一筋と合流して生田川となる。

苧川/おがわを少し調べると、生田神社が砂山にあったといわれるころに、奉納する苧(からむし 麻の一種)をこの渓水でさらしたので苧川といったそうだ。

末広稲荷神社
境内に入ると右手にまず三連鳥居の末広稲荷神社

末広稲荷神社2

末広稲荷神社本殿
末広稲荷神社本殿

太郎八大明神
江戸後期のヒーロー福田太郎八のことだと思う



拝殿
拝殿

祭神について

滝勝寺の建立時、寺の鎮守のために建てられたと言われる。祭神は応神天皇と彦火々出見尊/ひこほほでみの_そして旧熊内村の氏神を合祀。



1579年この地の戦国大名荒木村重が織田信長に反乱したとき焼かれ消失。

そののち復興したが1889年再度火災に遭い消失、一時は二宮神社に合祀されていた。その後1902年に元の地へ戻り今に至る。




熊内八幡神社解説
興味深い内容たっぷり

⊳さらに詳しい説明/pdf

修復のおしらせ

修復のおしらせ2

修復のおしらせ3

拝殿2

拝殿横の石の祠

歴代の社物

幼稚園と手水舎
境内の西側に手水舎と幼稚園

西側入り口
西側の入り口

山側には赤鳥居
右側/山側には赤鳥居

海川を見る
左側/海側、下に鳥居がある

▼この下の位置


灯篭

遙拝所
遙拝所

石標
下の鳥居まで降りてみたら石票があった。いつのものだろうか? 一の鳥居はさらに海側に下って


🔷旭の鳥居

言い伝えでは砂山/いさご山に生田神社があった頃の一の鳥居だといい、元日の朝には影が差さないことからこの名が付いたという。

旭の鳥居1

旭の鳥居

2010年ごろにはあった木製の史跡標について、“散策とグルメの記録”というブログへのコメントで、おそらくこの熊内に住んでいる方のもが大変興味深いので引用させていただいた。
鳥居のご近所に引っ越してきてから十数年になります。この度、NHKの所さんの番組で全国にある「ぼっち鳥居」を取り上げた放送の最後にチラッと映りました。
雲中公園脇のこの鳥居のいわれを紹介する木製の棒は、現在よりももっと長くて、先が腐って今にも倒れそうでした。しばらくすると現在のように深く土に刺し直されていたのですが、土の中に消えた部分には、892年?奉戴と書かれていたと思います。遣唐使廃止の頃で、すごく古いんだなあと当時感激しました。大事な史実が消えてしまったので、気になって投稿しました。Commented by ご近所さん at 2016-07-16 
▼2010年当時にあった史跡標
標2010年当時の木製の
この貴重な木製の史跡標、私が訪れた2022年11月にはもうなかった_

  2022年11月21日 参拝

▼熊内八幡神社と旭の鳥居




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