源満仲をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公を祀る、清和源氏の聖地だ
🔷多田神社

県道12号、猪名川渓谷ライン沿いに鳥居が立つ、赤い橋は恩社橋。

恩社橋から左手

恩社橋から右手、下流側



落ち椿が鮮やか

この日の翌週に多太神社、小童寺、平野鉱泉とを巡った
🔹南大門

威厳たっぷりの南大門
多田院のもとの仁王門であり、両脇に仁王像が立っていた。明治4年神仏分離の折、その仁王像は満願寺山門にある。

南大門の裏側
南大門を潜り境内に入り、右手の休憩所にあった二つの三ツ矢サイダーに関する伝説の掲示物


真正面に二の鳥居があるが、左右に走る参道の先にそれぞれ東門、西門がある。あえてそれぞれの門からのアプローチを楽しんだ。
🔹東門

県指定重要文化財で、徳川四代将軍家綱公による再興にて造営された。

木漏れ日のなんとも美しい瞬間だった


このまっすぐ先が西門になる
🔹西門

東門と同じく県指定重要文化財で、徳川四代将軍家綱公による再興にて造営された。なにかお城の門のようにも見えた。
🔹惣社六社宮



詳細不明
🔹田尻稲荷神社

旧多田荘の田尻より移築された稲荷神社
🔹磐鹿六雁命 /いわかむつかりのみこと


🔹厳島神社と金毘羅神社

厳島神社祭神
市杵嶋姫命/イチキシマヒメ
江戸時代初期の造営、厳島神社には北摂七福神 辨財天と表示
金毘羅神社祭神
大物主神/おおものぬしのかみ

立派な門
🔹ムクロジ/推定樹齢1000年


🔹車清祓所


岩の立派な手水は蓋、その周りの竹から水が落ちている

祭神である源頼光が大江山の鬼退治をした際、この池で鬼の首領、酒呑童子の首を洗ったと伝えられている鬼首洗池はどうも見落としたようだ。
▼鬼退治参考の記録

寛政8年/1796年の様子

現在の様子

🔹二の鳥居

さぁ参拝だ


🔹宝物館





🔹不思議の銀杏 七種の宿木?

情報がありません
🔹隋神門

国指定重要文化財、徳川四代将軍家綱公により再興。

両脇に築地塀が付き、豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置。



🔷多田神社

県道12号、猪名川渓谷ライン沿いに鳥居が立つ、赤い橋は恩社橋。

恩社橋から左手

恩社橋から右手、下流側



落ち椿が鮮やか

この日の翌週に多太神社、小童寺、平野鉱泉とを巡った
🔹南大門

威厳たっぷりの南大門
多田院のもとの仁王門であり、両脇に仁王像が立っていた。明治4年神仏分離の折、その仁王像は満願寺山門にある。

南大門の裏側
南大門を潜り境内に入り、右手の休憩所にあった二つの三ツ矢サイダーに関する伝説の掲示物


真正面に二の鳥居があるが、左右に走る参道の先にそれぞれ東門、西門がある。あえてそれぞれの門からのアプローチを楽しんだ。
🔹東門

県指定重要文化財で、徳川四代将軍家綱公による再興にて造営された。

木漏れ日のなんとも美しい瞬間だった


このまっすぐ先が西門になる
🔹西門

東門と同じく県指定重要文化財で、徳川四代将軍家綱公による再興にて造営された。なにかお城の門のようにも見えた。
🔹惣社六社宮


県指定重要文化財、伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀る。旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建され、現在の社殿は室町後期に再建されたもの。

詳細不明
🔹田尻稲荷神社

旧多田荘の田尻より移築された稲荷神社
🔹磐鹿六雁命 /いわかむつかりのみこと


🔹厳島神社と金毘羅神社

厳島神社祭神
市杵嶋姫命/イチキシマヒメ
江戸時代初期の造営、厳島神社には北摂七福神 辨財天と表示
金毘羅神社祭神
大物主神/おおものぬしのかみ

立派な門
🔹ムクロジ/推定樹齢1000年


🔹車清祓所


岩の立派な手水は蓋、その周りの竹から水が落ちている

祭神である源頼光が大江山の鬼退治をした際、この池で鬼の首領、酒呑童子の首を洗ったと伝えられている鬼首洗池はどうも見落としたようだ。
▼鬼退治参考の記録

寛政8年/1796年の様子

現在の様子

🔹二の鳥居

さぁ参拝だ


リンク
🔹宝物館





🔹不思議の銀杏 七種の宿木?

情報がありません
🔹隋神門

国指定重要文化財、徳川四代将軍家綱公により再興。

両脇に築地塀が付き、豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置。



内垣の内側は最強の信長塀













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