明治に入り神社に移行した多田院/多田神社と区別するため地元では「たぶとじんじゃ」と呼ばれている。wikiより
🔷多太神社/たぶとじんじゃ



由来の解説に並んで七福神の説明



ここ拝殿に来る参道はもう一つ東側にもある。そちらからも歩いてみた

いくつもの石仏が並んでいる

かつて源満仲が多田荘を拠点とした際に京都平野神社の祭神を勧請したとの伝承がある。ゆえにこの多太神社のある場所は平野となったのではないだろうか。
平野明神と近年まで呼ばれていたということは、源氏だけではなく平氏も含む8士族の先祖を祀っていたことになる。
白黒をはっきりとしたいという動きが、源氏の聖地には不似合いと思ったのだろうか?疑問が残るところだ。
調べていて石川県にも「多太神社」があり、そこでの源氏、平氏にまつわる伝説が興味深いのでリンクを付けておく↓
また、さらに奈良県御所市多田に鎮座する式内社の「多太神社」との関係も一説にある↓
真実はどうっだったのだろうか?


🔹拝殿



祭神

宝暦11年/1761年に奉納されたものといわれているが、今でも色鮮やか
🔹本殿

見事な覆い屋、今まで見た中でもトップレベル

格子の蔀の中に4柱が祀られている。元禄6年/1693年の造営

本殿の裏側
🔹境内にある3柱の祠


左から
春日社
皇大神宮
八幡社
となっている


🔹北摂七福神 福禄寿


右側に福禄寿

左側に布袋


おそらく遙拝所
2023年3月27日 参拝
🔷多太神社/たぶとじんじゃ



由来の解説に並んで七福神の説明



ここ拝殿に来る参道はもう一つ東側にもある。そちらからも歩いてみた

いくつもの石仏が並んでいる

かつて源満仲が多田荘を拠点とした際に京都平野神社の祭神を勧請したとの伝承がある。ゆえにこの多太神社のある場所は平野となったのではないだろうか。
平野明神と近年まで呼ばれていたということは、源氏だけではなく平氏も含む8士族の先祖を祀っていたことになる。
白黒をはっきりとしたいという動きが、源氏の聖地には不似合いと思ったのだろうか?疑問が残るところだ。
調べていて石川県にも「多太神社」があり、そこでの源氏、平氏にまつわる伝説が興味深いのでリンクを付けておく↓
また、さらに奈良県御所市多田に鎮座する式内社の「多太神社」との関係も一説にある↓
真実はどうっだったのだろうか?
リンク


🔹拝殿



祭神
日本武尊
大鷦鷯尊(仁徳天皇)
伊弉諾尊
伊弉冉尊

宝暦11年/1761年に奉納されたものといわれているが、今でも色鮮やか
🔹本殿

見事な覆い屋、今まで見た中でもトップレベル

格子の蔀の中に4柱が祀られている。元禄6年/1693年の造営

本殿の裏側
🔹境内にある3柱の祠


左から
春日社
皇大神宮
八幡社
となっている


🔹北摂七福神 福禄寿


右側に福禄寿

左側に布袋

昭和8年10月1日 陸軍大将 鈴木荘六

おそらく遙拝所
2023年3月27日 参拝
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