僅か3年3か月、未完の都、恭仁京あとを訪れた。

平城京の大極殿が恭仁宮へ移築、そのあと難波宮、近江紫香楽宮、そして再度平城京と目まぐるしく都は変わっていったが大極殿はそのままこの地に残され天平18年/746年山城国分寺の金堂となって生まれ変わった。


🔷恭仁宮跡 (山城国分寺跡)

古の聖武天皇の想いが強く反映された恭仁京、今はまだ美しい木津川市の自然の中にその姿は思い浮かべるだけである。


 



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恭仁京跡解説

恭仁京跡解説2

広々とした敷地
広々とした史跡跡

山城国分寺跡
発掘調査では先に山城国分寺跡が国の史跡に指定された

山城国分寺跡2

恭仁京跡解説3

くにのみや学習館の案内

国分寺跡から大極殿跡へ向かう

あじさい

美しい紫陽花が敷地に流れる小川沿いに並んでいる

あじさいと小川
子供たちの水遊びの場所としても喜ばれている場所、この日もファミリーで数組が楽しそうにしていた。

あじさい2

あじさい3

あじさいと小川2


🔷恭仁宮 大黒殿跡

恭仁宮 大黒殿跡
左手の建物は恭仁小学校、↓のMAPで位置関係がわかる

くにのみや学習館の案内

恭仁宮 大黒殿跡2

恭仁宮 大黒殿跡3

山城国分寺跡の碑
国分寺の金堂、恭仁宮の大極殿跡

敷地内の神社
国分寺の鎮守社として祀られていた御霊神社でしょうか

英語の解説板

石碑、石仏

石碑、石仏2

美しい木津川
帰路の途中に橋の上から見た木津川

最後にもう一つ恭仁宮についての興味深いサイトを貼っておく






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