出石神社と並び但馬国一の宮、大国主命の子、阿米弥佐利命が主祭神で創建は古く紀元前。圧倒的な存在感の600年前の勅使門、また「栗鹿神社の七不思議」も興味深い
🔷栗鹿神社 但馬国一の宮
出石神社と並び但馬国一の宮、大国主命の子、阿米弥佐利命が主祀神で創建は古く崇神天皇<紀元前148年>の頃。
鹿が栗を加えて粟鹿山から現れ、人々に農耕を教えたという伝承により“粟鹿”という名が付けられたと伝えられてる。
神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられた。
🔹鳥居

右に立つ細長い石に栗鹿神社とある
注連縄における太い縄の部分は雲を意味し、紙垂/しで・ジグザグの白い紙は雷、〆の子/しめのこ・てるてる坊主みたいな藁は雨の降る様子を表す。

隣接する駐車場から出るときにこうあったのでまず御神木に
🔹御神木 樹齢800年大杉


太陽の塔のモデルだったりしてとおもいつつ、その個性的な大杉の周りを何度も回って、見上げて、触れてみた。



御神木のうしろ

鳥居から見た参道

沓石

🔹勅使門

紋に彫られた鳳凰が鳴いたとされる勅使門、文献による勅使参向は4度。創建念は不詳で神功皇后も三韓征伐の跡、勅使を遣わしたとの伝承もある。





勅使門の境内側
🔹隋神門/日の出門

勅使門に並んである隋神門から境内に入る。外側には随身像1対が、内側には狛犬1対が安置されている。





隋神門の境内側



🔹手水舎と藤棚



隋神門を潜り境内を見る

土俵、奉納相撲が行われるのだろう
🔹天満宮

境内に入りすぐ左手、数本の巨木に囲まれた場所。



祭神
菅原道真

謎の天満宮の裏の石像と丸石

前髪を掴み、強烈な目力で口は半開き、何かを叫んでいるようだ。
『粟鹿大明神元記』にあるように荒ぶる神を鎮めるためにここが存在するならば、のちの時代の荒ぶる神、天神を鎮める意味もあるのだろうか? そんなことを考えてしまった。
🔹砲弾

戦利兵器奉納ノ記と刻まれた砲弾
🔹拝殿


境内を進み右に90度、立派な注連石が印象的「輸誠」と「致敬」の文字がある。

子供が足もとに



拝殿の側面
🔹本殿


御扉は三つ
祭神

本殿横から拝殿を見た



🔹厳島神社


ここでは三女の市杵島姫命が祭神となっている
🔹夫婦杉

🔹稲荷神社


三連の赤鳥居


祭神
保食神/うけもちのかみ

稲荷神社から下りながら

🔹床浦神社


🔹茗荷神社 /みょうが--


▼栗鹿神社の社紋


これはなんだろうね、七不思議にある四角い池か?
🔹栗鹿神社由来碑

🔹猿田彦神社 / 庚申社


祭神
猿田彦神

日の出門の真正面にある親しみを感じる社務所
最後になったが栗鹿神社に伝わる七不思議を引用しておく

2023年10月30日 参拝
🔷栗鹿神社 但馬国一の宮
出石神社と並び但馬国一の宮、大国主命の子、阿米弥佐利命が主祀神で創建は古く崇神天皇<紀元前148年>の頃。
鹿が栗を加えて粟鹿山から現れ、人々に農耕を教えたという伝承により“粟鹿”という名が付けられたと伝えられてる。
神徳高き神社として朝廷の尊崇が厚く、約600年前には国家の大難に際して4度の勅使が派遣され、そのご加護として勅使門が建てられた。
🔹鳥居

右に立つ細長い石に栗鹿神社とある
注連縄における太い縄の部分は雲を意味し、紙垂/しで・ジグザグの白い紙は雷、〆の子/しめのこ・てるてる坊主みたいな藁は雨の降る様子を表す。

隣接する駐車場から出るときにこうあったのでまず御神木に
🔹御神木 樹齢800年大杉


太陽の塔のモデルだったりしてとおもいつつ、その個性的な大杉の周りを何度も回って、見上げて、触れてみた。



御神木のうしろ

鳥居から見た参道

沓石

🔹勅使門

紋に彫られた鳳凰が鳴いたとされる勅使門、文献による勅使参向は4度。創建念は不詳で神功皇后も三韓征伐の跡、勅使を遣わしたとの伝承もある。





勅使門の境内側
🔹隋神門/日の出門

勅使門に並んである隋神門から境内に入る。外側には随身像1対が、内側には狛犬1対が安置されている。





隋神門の境内側



🔹手水舎と藤棚



隋神門を潜り境内を見る

土俵、奉納相撲が行われるのだろう
🔹天満宮

境内に入りすぐ左手、数本の巨木に囲まれた場所。



祭神
菅原道真

謎の天満宮の裏の石像と丸石

前髪を掴み、強烈な目力で口は半開き、何かを叫んでいるようだ。
『粟鹿大明神元記』にあるように荒ぶる神を鎮めるためにここが存在するならば、のちの時代の荒ぶる神、天神を鎮める意味もあるのだろうか? そんなことを考えてしまった。
『粟鹿大明神元記』に記された神話は以下の通りである。昔、山海や人々の生活も混沌とし、神も天皇になっていない頃、天美佐利命は国を振り固めた。その後、天下が陰り、豪雨が長く続き、洪水が発生し、飢餓や病が流行り、人々が流浪するようになった。天皇は駕き、家臣に命じて占わせた。それによると、大国主命の子の天美佐利命が、まだ朝廷からの尊敬を受けていないため、この災難が起こっているということであった。そのため朝廷は勅命を下し、社殿を建て、12箇所の別所、神戸2烟、神田75町5段180歩を与えた。そして、天美佐利命を祀り、氏と神職を定めるにあたって、大和国の大神神社の氏人(三輪氏)を派遣した。また、祭りや忌月、供日、神宝、礼祭も定めた。これにより、天下は豊かになり、人々も安心して暮らせるようになったという
🔹砲弾

戦利兵器奉納ノ記と刻まれた砲弾
🔹拝殿


境内を進み右に90度、立派な注連石が印象的「輸誠」と「致敬」の文字がある。

子供が足もとに



拝殿の側面
🔹本殿


御扉は三つ
祭神
天美佐利命/あめのみさりのみこと
日子坐王/ひこいますのおおきみのみこと
日子穂穂手見尊/ひこほほでみのみこと

本殿横から拝殿を見た



🔹厳島神社


ここでは三女の市杵島姫命が祭神となっている
🔹夫婦杉

🔹稲荷神社


三連の赤鳥居


祭神
保食神/うけもちのかみ

稲荷神社から下りながら

🔹床浦神社


🔹茗荷神社 /みょうが--


栗鹿神社の社紋は圓囲の中に菊と茗荷とを合はせた紋で「抱き茗荷」と呼ぶ。
菊の御紋の半分と、年毎の祈年祭に茗荷神社の池中に生へる茗荷の新芽の長短により、その年の豊凶を占ひし故事に由縁あるやに考へられる」とあるように、社紋と関わる末社である。
菊の御紋の半分と、年毎の祈年祭に茗荷神社の池中に生へる茗荷の新芽の長短により、その年の豊凶を占ひし故事に由縁あるやに考へられる」とあるように、社紋と関わる末社である。
▼栗鹿神社の社紋


これはなんだろうね、七不思議にある四角い池か?
🔹栗鹿神社由来碑

🔹猿田彦神社 / 庚申社


祭神
猿田彦神

日の出門の真正面にある親しみを感じる社務所
最後になったが栗鹿神社に伝わる七不思議を引用しておく
1、
旧暦2/4の祈念祭に、境内の茗荷神社の池に毎年必ずみょうがが芽を出し、その長短によってその年の稲作の豊凶を占う。
2、
勅使門の彫刻2羽の鳳凰が毎夜鳴くので、作者の左甚五郎が1羽の首を切り落とすと、以降鳴かなくなった。
3、
御手洗の池を3回まわって手をたたくと大蛇がでる。
4、
「もみ火の御供さん」と呼ばれるかまど形の石があり、ここで御供さんを炊いた後、土を盛っておくと翌年まで暖かさが残る。
5、
玉の井の水は天下の名水で、どんな大飢饉の年にも枯渇したことがない。
6、
亀を放すとよいといわれている四角い池の水は、奈良の二月堂の水に通じている。
7、
御手洗の池に丸木の橋をかけ、その上に俵を置いてお祈りすると必ず雨が降った。
たじま旅ネットより

2023年10月30日 参拝
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