神戸ストリーム

From traditional light and darkness of Japan and the importance of nature from Kobe… / 日本の伝統的な明と暗、そして自然の癒しを神戸から… / © 2006 神戸ストリーム Corporation. ▼写真は岡山県玉野市王子が岳にてガラスに映り込む私の姿

カテゴリ: 兵庫

ここはまさに穴場、桃源郷とも言える美空間。どの場所からもその手の掛け方、侘び寂びが見て取れた。また私一人のためにわざわざ本堂前までリーフレットを持って来てくださり、ごゆっくりと言っていただいた。実に気持ちのいい方だったな。 ...

天稚比古命が大国主の娘の下照姫命(高比売神)との恋に溺れ悲劇の結末を迎える伝説がある。その下照姫命を主祭神とし、天稚比古命を配祀する神社だ。 ...

創建はインドの僧・法道仙人、山号は御嶽山、本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第25番札所であり二つの本堂が見事な天台宗の広大な山寺だ。 ...

戦国時代の面影が色濃く残る境内全域が国の史跡となっている。荒ぶる木々の見事な枝ぶり、威圧感たっぷりの本殿はまるで城のようだ。 ...

天平3年/731年に行基が昆陽池を造成するのと並行して貧民救済を目的とした「昆陽施院」が寺の始まり。また過去に信長の焼き討ち、阪神大震災での苦難から逞しく復興している ...

周囲は宝塚にあって川西の飛び地にある満願寺、聖武天皇の勅願によって勝道上人が創建して以来、それぞれの時代時代のヒーローたちに重要視されてきた寺院。高野山真言宗、本尊は開眼阿弥陀如来/めあきのあみだにょらい ...

樹齢300年を超えるエドヒガン桜の見事な枝ぶりと、丁寧に手をかけておられる境内をゆっくりと楽しませていただいた。 ...

美女丸と幸寿丸の悲しくもはかない物語を今に残す寺、そしてそっと見守るかのように頼光四天王の筆頭である渡辺綱の御廟が境内を見渡せる場所にある。 ...

『如意寺旧記』によれば、大化元年/645年 法道仙人が多聞天の教化により当山に櫨/はぜの木に刻んだ地蔵菩薩と毘沙門天を祀ったのが起源とされる天台宗寺院 ...

🔷長田神社廣田神社・生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社、祭神は事代主大神、かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていたそうだ。 ...

和気清麻呂公開基、称徳天皇の勅願寺にして弘法大師大願成就のお寺が再度公園に隣接してある。この日は厳寒の折、ご住職は境内に私一人にもかかわらず黙々と火を燃やし続けてくれた。 ...

かつての生田神社の神域領内で供米/くまい地だった熊内/くもち、滝寺と呼ばれる滝勝寺の鎮守として寺伝によれば文武天皇の時代に役小角が建立したという。 ...

多数の磐座群、境内外より弥生土器や石斧、石剣など種々の遺物が出土したこと、社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯...保久良神社の社記によると、神功皇后が三韓征 伐から帰られた後、広田・長田・生田神社を祭っ た後、保久良に宝物を収めたとされてい ...

浄土寺の国宝阿弥陀如来像が有名だが。街中の庶民の信仰場所を覗いてみた ...

現地の案内板に創建年代について人皇十代とも養老6年/722年ともとある。古書は焼失したとのことだが人皇十代といえば紀元前の話、定かではないが崇神天皇のころになる。 ...

799年/延暦18年4月9日、布引の滝の大洪水で崩れかけた場所から、村人の刀祢七太夫が御神体を背負い、7,8日ご鎮座地を探しめぐっていると、突然御神体が重くなったため「これは御神意であろう」と安置したという。その場所が今の生田の杜である。 ...

生田神社を調べるうちに、かつてはこの布引渓谷のある場所、砂子山(いさごやま)別名円山にあったという。今では布引山と言われるあたりのことらしい。 ...

甑岩神祠/しんしは甑岩村にあり祭神巨岩にして倚畳甑/きるいこしきの如し、此地の産土神/うぶなすがみとす。古代からの磐座信仰をしっかりと守りつつ、今の時代、えべっさんを主祭神とされている。 ...

えべっさんの名で関西では有名な神社の一つ。元は廣田神社の境外摂社であり、主祭神の変更、社名の変更など気になる歴史を持つ神社だ。延喜式神名帳の摂津国菟原(うばら)郡に記されている大国主西神社の比定地をめぐって越木岩神社との結論は未だ出ていないようだ。 ...

廣田神社の境外摂社・末社の中で六甲山神社/むこやま--が唯一飛び出した場所にある。まぁかつては六甲山も廣田神社の社領であったのだからおかしくはなく、廣田神社の奥宮と言う説もあるようだ。ところが調べてみると石の宝殿を作ったのは越木岩神社の関係の人だというから複 ...

廣田神社のHPの摂末社のご案内で紹介されている境外末社を、前回の摂社5社同様、記載されている順に参拝してみた。末社は全部で6社あるが、最後の六甲山神社のみ後日改めて記録する。 ...

廣田神社のHPの摂末社のご案内で紹介されている中で、境外摂社、境外末社を順次参拝してみた。甲山に六甲山から、御前浜に至るまでに及ぶ廣田神社の社領は広大だ。 ...

神功皇后が建国初の海外遠征に大勝利を収めて瀬戸内海を通り難波宮に凱旋する途中、船が動かなくなり西宮の港に入ったところ、天照大御神荒御魂のおつげがありこの地に祀られることになった ...

生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの生田裔神八社の中の七柱目。祭神の大己貴命が七つの名を持つことから七宮神社と呼ばれた経緯、平清盛ゆかりの地、そして兵庫にて栄華を極めた北風家の先祖神の天児屋根命を祀る。 ...

生田裔神八社の中の六柱目、六宮神社はかつて現在の広厳寺/楠寺の前に鎮座されていたが、明治42年12月に、楠高等小学校の新設により、八宮神社の御社殿に合祀されることになり今に至る。 ...

生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの生田裔神八社の中の二柱目。まさに勝、吾は必ず勝ちて負けること無し、勝ち進む速さは日の昇るがごとし とホームページにある。 ...

時は201年、神功皇后が三韓征伐から凱旋帰国の途中、生田神社を建立。そして神のお告げにより生田神社周辺の八社を巡拝、その参拝順に従って一宮~八宮と名付けられたそうだ ...

伊勢神宮内宮にお祀りされる天照大神の和魂/にぎみたま、あるいは妹神と伝えられ、稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長をご加護する神様として、ご崇敬を集めています。HP由緒より ...

瀬織津姫、旅先でのその名を知ること幾度、調べるも神秘的な謎が深まるばかりだった。そして子供のころからよく登った六甲山がその重要な場所だと知って驚いた。 ...

寺伝によれば651年/白雉2年、孝徳天皇の勅願により法道仙人が開山したとされ、延命地蔵と称する地蔵菩薩を本尊とする。さらに747年/天平19年、行基が薬師堂を建立し、823年/弘仁14年、嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したとの伝えもある。山号は岩嶺山。 ...

神戸市北区山田町の総鎮守、六條八幡宮。由緒には神功皇后に始まり、基燈法師、そして源為義が名を連ねる。名の由来は当時山田庄の領主であり社殿を寄進した源為義の通称が六条判官であったことに由来する。。三重塔がそびえ、神仏習合の名残を感じる。 ...

🔷伽耶院/がやいん飛鳥時代に法道仙人による開基、寺の歴史は様々な物語を奏でており、今は近畿地方では最大の規模を誇る大護摩が行われる修験寺院として名を馳せている。 ...

本尊は薬師如来。聖徳太子の開基、行基菩薩の中興、巨大な古代寺院を含む34もの堂宇があったとされる。直近に訪れた「黒谷若宮八幡宮」「秋津住吉神社」とついさっきの「天神一之宮神社」も掎鹿寺/はしかじと習合していたのだ。 ...

正確な創立は不詳のようだが、714年成立の播磨風土記に記載があることから歴史深い場所なのだ。加東市、一之宮神社へ。 ...

全国2300社の住吉神社の中で「住吉七社」に比定される秋津住吉神社に行ってきた。ここでは毎年4月29日に奉納される、雨乞い神事「秋津百石踊」が名高い。 ...

秋祭りは報恩寺の神輿、隣りの平之荘神社では2月には小学6年生による狂言舞台。そして鎌倉時代から室町時代にかけての石造遺品の宝庫と聞き加古川市平之荘に行ってみることにした。 ...

厳格な世襲的宮座制度によって7世紀の永きにわたって伝え続けられてきた神事舞、五穀豊穣・無病息災を願って毎年10月に行われる。歴史感たっぷりの上鴨川住吉神社を訪れた ...

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