神戸ストリーム

From traditional light and darkness of Japan and the importance of nature from Kobe… / 日本の伝統的な明と暗、そして自然の癒しを神戸から… / © 2006 神戸ストリーム Corporation.

カテゴリ: 奈良

その⑨に続き、この最終章も「曽我の町を歩く」というタイトルにそぐわないが、旅の勢いとしてこうなってしまった...。 まぁ蘇我氏のエリアの傍に、物部、安部という勢力があったということはわかる。 さて、初瀬街道(国道165号線)を「吉備」から「安部」を過ぎて「谷 ...

少し横道にそれるが、曽我町と同じ磐余の地のの中、気になる場所をみつけた。それは少し前に訪れた「吉備池」の近くだった。 歴史は曽我氏が代等してくるころより130年ほど遡ることになる。そこは曽我氏のライバル物部氏の縁の地でもある。第17代 履中天皇は父である仁徳天 ...

良く知られる天岩戸の話。岩の中に閉じこもったアマテラスにどうやって出てきてもらおうか、神々が集まって相談した場所と、言われている神社が「曽我町」にあるという。 飛鳥川に近い「入鹿神社」のある「小綱町」から西へ700mあたり、今度は曽我川の近くに「天高市神社( ...

明治時代に入り皇国史観に基づき、日本各地で数々の寺が取り壊され、神社においても都合の悪い神々は新しい御祭神へと鞍替えされた。 この曽我の地にもその波は訪れ、同敷地内の普賢寺は廃寺になったが地元の住民の確固たる意思か、はたまた隠し隠しの偉業なのかはわからな ...

中曽司町から東へ飛鳥川のすぐ近く地黄町(じおちょう)まで来た。高品質な薬草ジオウが産出されたことからこの名がついた。 宝亀元年/770年石見で死去した柿本人麻呂の遺骸をこの地に葬り、その傍らに建立したと伝える社伝をもつ葛城市新庄町柿本の「柿本神社」より分祀した ...

中曽司町(なかぞんちょう)の磐余神社の北隣に小さな神社がある。『岩神社』という。ここはまさに迷宮への入り口ともいえる。古墳の上に祠が建っているのだ。 それもあえて発掘することもなく建てたと言うから、ただ事ではない。どんな思惑があるのだろうか。中曽司集落の ...

曽我川右岸、真菅から少し北に上ったところ、中曽司町(なかぞんちょう)に「磐余神社(いわれ--)」がある。歴史背景から見ると、現奈良県広陵町百済付近を中心とした百済荘の南東隅と捉える。とにかく「磐余」と聞けば行かないわけにはいかない。参考⊳磐余(いわれ)   ...

曲川町(まがりかわちょう)から東へ曽我川を渡り曽我町に入る。駅で言うならば「近鉄真菅(ますが)駅」「真菅」は「金橋」と同じくかつてこのあたりが高市郡真菅村だったことを表している。祭祀に使われた材料で尊ばれた「菅(すげ)」は今でも曽我川に見られるという。こ ...

雲梯(うなて)町から曽我川を下る。曽我町のエリアに入り、曽我川の左岸(西側)「曲川町(まがりかわちょう)」に目を向けた。  このあたりはかつて27代安閑(あんかん)天皇の宮跡地と言われていて、その名も「安閑天皇勾金橋(まがりかなはし)宮跡」 「勾(まがり)」 ...

雲梯(うなて)の川俣神社を出て、橋を渡り曽我川の西側堤防を南へ下ること数分。右手に「木葉神社」がある。 ここ木葉神社が元来の川俣神社に比定されている古社であり、先ほど参拝した現川俣神社は高市御縣坐鴨事代主神社に比定されているという事実。 何か不自然だ_ 「 ...

『出雲国造神賀詞(いずも・くにのみやつこ・の・かむよごと)』というものの一説ににこうある皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」と。 大穴持命が国土を天孫に譲って出雲の杵築へ去るに当たって、自らの和魂と子女の御魂を大和に留めて皇室の ...

日没が近づいて奈良公園周辺に人が増えてきた。今夜8月15日は奈良の夏の締めくくりとも言える一大イベント「奈良大文字送り火」の夜。奈良県出身の29,243柱の戦没者の英霊を供養するためのものだが、神式と仏式の両方が続けて行なわれる大変珍しいものだ。 神式と仏式の両方 ...

良弁の杉  手向山八幡宮から北へ、三月堂を超え二月堂にやってきた。三代目良弁の杉をしっかりと捉えたかったのだ、あと前回7月11日の拝観で見落としたところをもう一度見て回りたかった。昔話⊳良弁と杉 二月堂の真下(通称火の粉かぶり)興成神社(こうじょう)良弁杉の ...

水門町からまっすぐ東へ、東大寺本坊脇を通って吉城川沿いに行くと見事な百日紅の林に出る。鹿たちもご機嫌のようだ。 左を見るとオレンジの花がぶら下がっている。これは何だろう? 🔹手向山八幡宮(たむけやま)前回の東大寺訪問では拝観時間を過ぎていたので入ることが ...

一本の川が春日山より流れ出し、水谷神社を経て、南大門の南側を横切り水門町へ。そして水門町にてその左岸が「吉城園」そして右岸が「依水園」となる。  名勝 依水園(いすいえん)  名の由来は諸説あり、池が吉城川の水に依っているためという説や、前庭園内の池が草書体 ...

8月15日は奈良で大文字送り火にて戦没者の方々を慰霊し、氷室神社の「氷献灯」、春日大社「万燈籠」、東大寺「万灯供養会」そして京都に移動翌日16日は京都嵯峨野にて五山送り火の一つ「鳥居」を、そして広沢池で燈篭流しを目にご先祖様を供養する。今回は欲張りなそんな旅。 ...

圧巻の大石堂へはこの階段を下りて門を右へだった、帰路は左に出て進んでいくことになる。     左に出ると広い舞台のようになっていてベンチが置かれ、建屋があるが詳細は不明。     この小さな三つの祠は只今問い合わせ中にて、判明し次第追記することに。    龍〇 ...

大観音石像エリアから下って来ると見えてくるのが、今から向かおうとする「天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)」だ。⊳境内案内⑮横の壁画は鶴のような鳥のレリーフが碁盤の目のように張り合わされているが、これが重要文化財/奈良国立博物館寄託の「鳳凰文せん」のレプリカ ...

  スロープを上がるともう見えている、というか大観音石像は壷阪寺のどこからも見えるのだが、この横たわる涅槃像を右手に見下ろして、そして大観音像を左手に見上げる様は圧巻だ。 涅槃像の向いている方角にニ上山がある。  涅槃像の前に回ってみた、うしろに見える大観 ...

🔹天竺渡来佛伝図レリーフ 「お釈迦様一代記」 仏伝図レリーフと世界各地の仏足石が順に並んでいる。釈迦の前世から涅槃までが10面に分けて彫刻されている。まずはレリーフを順を追って見てみよう。  1.前世   2.誕生   3.?   4.出家   5.苦行  6.悟り   7.説法 ...

慈眼堂、三重塔、中興堂、行者堂エリアからデザインされた石畳を北へ、いよいよ禮堂(れいどう・らいどう) 国指定重要文化財、そして八角円堂。左手の緑は山吹だ。⊵境内御案内⑩、⑪    禮堂(れいどう・らいどう) 国指定重要文化財(再建 室町時代)入母屋造り・本瓦 ...

多宝塔から一段上のエリアには左手に禮堂(れいどう・らいどう)国指定重要文化財、そして八角円堂がある。今からは右手にある慈眼堂、三重塔、中興堂、行者堂エリアを見よう🔹慈眼堂慈眼堂 ⊵境内案内⑨慈眼堂に昇る石段の右手にある石像、後ろに三重塔が。石段を登り振り ...

手水舎に向かって右隣にある天竺渡来 大釈迦如来石像の一団。真後ろは慈眼堂、左奥は三重塔、右手奥は天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂) ⊵境内ご案内⑤   大釈迦如来石像前を振り返ると、ごらんのようにヤギとカエルとお坊様   手水舎に向かって左手には、脇に像を置 ...

第5回の「勝者と敗者の聖地シリーズ」の後半は、前日のならまちエリアから移動、明日香~高取町壷坂、壺阪寺に行く。地図を見ていて壷阪寺に行く途中、八咫烏神社があるとわかり参拝することにした。宇陀にある八咫烏神社が有名だ。八咫烏とは足が3本あリ、太陽を象徴し熊野の ...

事あることに開放してくれる奈良県庁屋上。この日も近衛兵のように任務に忠実な警備員が四隅で見守ってくれる中、ファミリーもカップルも、一人旅 の人も、すがすがしい気持ちになれたはず。 この一枚は当ウエブサイトのアイコンに用いています。県庁から南を見た、興福寺の ...

なら燈花絵にそなえて、少し早めに駐車場に停めてしばし散歩を楽しむ。  あとでたっぷり歩くんだけど、その前にすでに歩きすぎてしまった(笑) そんな折にこんな案内板が...   不審ケ辻子町 ならホテルの南西の辺りにある町。古い町並みが続く古都のムード満点のエリア ...

 大安寺から真南に位置する「八幡神社」表門横の石柱には「元岩清水八幡宮」と刻まれている。元は大安寺の鎮守で大安寺八幡宮と呼ばれていた。 斉衝2年/855年に行教が豊前国の宇佐八幡宮から勧請、京都の男山に「岩清水八幡宮」を創起したのはその後、貞観2年/860年のこと。 ...

🔹大安寺南都七大寺 癌封じ祈願 高野山真言宗  東大寺、西大寺と並んで南大寺とも通称されていたという大安寺の起源は、聖徳太子が今の奈良県大和郡山市に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)であり、これが移転して「百済大寺」(くだらのおおてら、くだらだいじ)「高 ...

古事記にも日本書紀にも登場しない神「加夜奈留美命」そして明日香村史においても全く不詳の神社であると記しているというこの神社。やはり好奇心が沸き起こる。  栢森(かやのもり)加夜奈留美命神社  以前参拝した「飛鳥坐神社」と共に、古代日本の歴史上重要な神社だろ ...

奥明日香の道を進むとその先は桜で有名なあの吉野に続く。歴史のロマンに浸るにはここを行くべきだ。⊵吉野歴史資料館レポ(吉野がわかる) 桜井明日香吉野線を南へ    飛鳥川上流(行者の川)にそびえる杉と、数分でいきなりのこの風景   両側の杉に、天を覆う青もみじ ...

石舞台の少し先で左手「多武峰」右手「吉野」という三叉路に出る。この旅の終盤は、かつて持統天皇をはじめ数々の天皇が吉野 宮滝宮に行幸の際、歩かれた道を走ってみる。俗に言う「奥明日香」と言われる場所である。右折してすぐは「祝戸(いわいど)」という場所、このあた ...

日本初の国立寺院「百済大寺」については謎のままであったが平成10年に、高さ100m級と推定される塔(九重の塔)の壇跡が見つかり、百済大寺は吉備池廃寺で間違いないと発表された。すべてが解明されれば飛鳥時代の寺院として最大級となる。⊵百済大寺と吉備池     池の堤 ...

🔹日本史上最大の都城 藤原宮跡へ  900m四方の広大な緑は、大和三山のほぼ真ん中に位置する。 周囲にたくさん駐車場があるが橿原市藤原京資料室(現在地マーク)に停めて徒歩で東に向かう。    この位置は天皇が住まわれていた内裏の真ん中~大極殿よりにあたる。この写 ...

西の京の薬師寺、元はといえばこの地「藤原京」にあった。そして西ノ京に移転した後も、藤原京の薬師寺はその伽藍の一部を残したまま、平安時代前期までは存続していたという。   すぐ横(写真右手)の空き地に車を停めることが出来る。この植え込みの中が史跡となる。  ...

🔹豊浦寺 今は向源寺としてひっそりと豊浦という地は飛鳥の西側、飛鳥川の左岸にある。豊浦に『豊浦寺』あり、日本最初の寺(創建年の解釈によっては飛鳥寺に次ぐ2番目のお寺となる)とも呼ばれ、飛鳥五大寺の一つにも数えられた。 「日本書紀」の記述では、552年、百済の聖 ...

かつては「神なび」として神の宿る山とされ信仰された場所「甘樫の丘」。このあたりは豊浦といい、かつて蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が屋敷を構えていた場所。飛鳥寺の西、川原寺から見れば北に当たる。駐車場は二箇所あるが南側の駐車場が無料なのでそちらを利用しよう。   ...

橘寺から西へ数分🔹亀石     川原を後にして野口に入る🔹天武 持統天皇陵   天武 持統天皇陵檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ) とも野口王墓とも呼ばれる   ⊵天武 持統天皇陵     刈り込まれた木の後から外周を回る細い道がある。 ほぼ一周したあたりに咲い ...

橘寺境内の親鸞聖人像の後から真北の「川原寺」と7世紀中期の斉明天皇が営んだ「飛鳥川原宮」跡地を望む。参照↓    土蔵 ⊳橘寺 境内図刈り込みのきれいな木と、漆喰がの剥がれた土塀がいい味を出している。 土蔵の裏側  三光石阿字池   橘の花を象ったと言われる五 ...

昭和49年/1974年、川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏(せんぶつ)が発掘された。塼仏とは土製品を焼いたもの で、材質的には煉瓦に近い。川原寺裏山からは、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした三尊塼仏が大量に発掘されている ...

奈良市街東方の柳生街道をしばらく走る。奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)、柳生まではもうわずか、周りにはゴルフ場がひしめくエリアでもある。 忍辱山 円成寺(えんじょうじ) 真言宗御室派(総本山は仁和寺)本尊は阿弥陀如来    右手に駐車場が見えてくる、その ...

7月12日 早朝 少し足を伸ばして西の京 勝間田池へ   薬師寺を東に、勝間田池(通称大池)から朝のショーを見る    シルエットで浮かび上がる薬師寺西塔と金堂   空が水面に綺麗に写っている    二つの塔と金堂、そしていよいよ来る    二つの塔のちょうど真ん中から ...

東大寺の二月堂からの夕景を観たい。 日没までにはまだ少々時間があるのでのんびりと歩きながら、時おり腰を下ろして鹿たちを眺めたりしながら...南大門あたりはもう何度も来ているので、撮影はスルー。  二月堂参道の起点よりスタートする。   二月堂の名前の由来は、 ...

🔹氷室神社 ⊵由緒製氷販売業、冷蔵冷凍庫の守護神。ヒートポンプ、蓄熱技術の守護神。そして興福寺東山鎮守、南都七郷の産土神とある。 南都七郷とは、興福寺別当直轄の七つの親郷(寺門郷)で、南大寺郷、新薬師寺郷、東御門郷、北御門郷、穴口郷、西御門郷、及び不開門 ...

治田神社<はるた神社>は岡寺の向かい、かつての岡寺講堂跡地にある。 近年まで八幡神社と言われており、一の鳥居は岡寺参道の下にある。多くの人々は、きっと岡寺の鳥居だと思っているはず。御祭神は品陀別天皇 素盞嗚尊 大物主神。  岡寺を出ると真正面にこのような神社 ...

天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。 江戸時代までは興福寺の末寺であった。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称する。 御本尊は如意輪観音。西国 ...

談山神社をあとに、明日香に戻る途中「念誦崛不動尊(ねずきふどうそん)」というのがあると聞き、行ってみることにした。 県道155から北へ「北山林道」に入る。売店の叔父さんの話によると桜井まで降りれると言うことだが、今回は冒険はやめておく。 北山林道に入って数分 ...

権殿の西側に小さな祠が並んでいる、それらの神々をみてみよう。 最初は目を惹く祠「比叡神社 御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)」   元々あった場所「飛鳥の大原」とは鎌足の生誕地と言われており、この旅の最初に訪れた場所、明日香村小原(おおはら)↓のこと。  ...

神廟拝所のあるエリアから一段高いところに権殿(平成23年5月1日修復終了)がある。 本殿は只今修復中(平成24年春修復完了予定)のため、ご神体はこの権殿にいらっしゃいます。本来は「マダラ神」が祀られていて芸能・芸術、魔除け・厄払いにご利益があるとされている。⊳ ...

7月5日早朝は雨、スタートを遅らせて朝の散歩も中止、天候の様子を見ながら藤原氏の聖地「多武峯(とうのみね)」に向かう。その途中「石舞台」を道を挟んだ丘の上のベンチに座って観る。ここいいよ、お勧め。   よーく見たら、石舞台って龍の頭に似ているなぁ。意識して造 ...

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