その⑨に続き、この最終章も「曽我の町を歩く」というタイトルにそぐわないが、旅の勢いとしてこうなってしまった...。 まぁ蘇我氏のエリアの傍に、物部、安部という勢力があったということはわかる...ごり押しだな
さて、初瀬街道(国道165号線)を「吉備」から「安 ...
カテゴリ: 奈良
蘇我の町を歩く その⑩ 磐余若桜宮はここか? 『稚桜神社(わかざくら)』
少し横道にそれるが、曽我町と同じ磐余の地のくくりの中、気になる場所がある。 少し前に訪れた「吉備池」近くだ。 歴史は曽我氏が代等してくるころより130年ほど遡ることになる。
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第十七代 履中天皇は父である仁徳天皇崩御のあとの ...
蘇我の町を歩く その⑨ 天岩戸を開くべく神々の会合の地 『曽我町の天高市神社』
良く知られる天岩戸の話。 岩の中に閉じこもったアマテラスさまにどうやって出てきてもらおうか、神々が集まって相談した場所...と、言われてい
る神社が「曽我町」にある。 飛鳥川に近い「入鹿神社」のある「小綱町」から西へ700mあたり、今度は曽我川の近くに「天高 ...
蘇我の町を歩く その⑧ 初瀬街道と竹之内街道の連結の地 『小綱町の入鹿神社』
明治時代に入り皇国史観に
基づき、日本各地で数々の寺が取り壊され、神社においても都合の悪い神々は新しい御祭神へと鞍替えされた。 この曽我の地にもその波は訪れ、同敷地内の普
賢寺は廃寺になったが地元の住民の確固たる意思か、はたまた隠し隠しの偉業なのかはわから ...
蘇我の町を歩く その⑦ 情念と悲運の大歌人を想ふ 『地黄町の人麻神社』
中曽司町から東へ飛鳥川のすぐ近く地黄町(じおちょう)まで来た。 高品質な薬草ジオウが産出されたことから名がついたという。
宝亀元年(770年)石見で死去した柿本人麻呂の遺骸をこの地に葬り、その傍らに建立したと伝える社伝をもつ葛城市新庄町柿本の「柿本神社」よ ...
蘇我の町を歩く その⑥ 元橿原神宮の傍の古墳跡・石棺の蓋上に建つ 『岩神社』
中曽司町(なかぞんちょう)の磐余神社の北隣に小さな神社がある。 『岩神社』という。 ここはまさに迷宮への入り口ともいえる。 古墳の上に祠が建っているのだ。 それもあえて発掘することもなく建てたと言うから、ただ事ではない。 どんな思惑があるのだろうか...
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蘇我の町を歩く その⑤ 元橿原神宮なのか.. 『中曽司町の磐余神社』
曽我川右岸、真菅から少し北に上ったところ、中曽司町(なかぞんちょう)に「磐余神社(いわれ)」がある。 歴史背景から見ると、現奈良県広陵町百済付近を中心とした百済荘の南東隅と捉える。 とにかく「磐余」と聞けば行かないわけにはいかない。 参考≫磐余(いわれ)
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蘇我の町を歩く その④ 蘇我の聖地 『真菅の宗我坐宗我都比古神社』
曲川町から東へ曽我川を渡り曽我町に入る。 駅で言うならば「近鉄真菅(ますが)駅」、「真菅」は「金橋」と同じくかつてこのあたりが高市郡真菅村
だったことからくる。 祭祀に使われた材料で尊ばれた「菅(すげ)」は今でも曽我川に見られるという。 この菅から今でもよ ...
蘇我の町を歩く その③ 曲川町に安閑天皇のまぼろし 『金橋神社は蔵王権現か?』
雲梯(うなて)町から曽我川を下る。 曽我町のエリアに入り、曽我川の左岸(西側)「曲川町(まがりかわちょう)」に目を向けた。
このあたりはかつて27代・安閑(あんかん)天皇の宮跡地と言われていて、その名も「安閑天皇勾金橋(まがりかなはし)宮跡」。 「勾(まが ...
蘇我の町を歩く その② 『木葉神社..かつて雲梯(うなて)の浅間権現・初穂寺なり』
雲梯(うなて)の川俣神社を出て、橋を渡り曽我川の西側堤防を南へ下ること数分。 右手に「木葉神社」がある。 この神社が元来の川俣神社に比定されている古社であり、先ほど参拝した現川俣神社は高市御縣坐鴨事代主神社に比定されている。 何か不自然だ。
「川俣」という ...
蘇我の町を歩く その① 『宇奈提の神奈備・そう雲梯(うなて)の川俣神社』
『出雲国造神賀詞(いずも・くにのみやつこ・の・かむよごと)』というものの一説ににこうある...皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」と。 詳しくは≫『出雲国造神賀詞』
そこにある「宇奈提(うなせ)」は橿原市「雲梯(うなて)」とされる ...
奈良と京都の送り火 8.15奈良 最終章 『氷室神社・氷献灯~春日大社・中元万燈籠~奈良大文字送り火~東大寺・万灯供養会』
日没が近づいて奈良公園周辺に人が増えてきた。 今夜8月15日は奈良の夏の締めくくりとも言える一大イベント「奈良大文字送り火」の夜。 奈良県出身の29,243柱の戦没者の英霊を供養するためのものではあるが、神式と仏式の両方が続けて行なわれる大変珍しいものだ。 神 ...
奈良と京都の送り火 8.15奈良 その④ 東大寺の東を歩く 『二月堂から大仏殿東まで』
手向山八幡宮から北へ、三月堂を超え二月堂にやってきた。 三代目良弁の杉をしっかりと捉えたかったのだ、あと前回7月11日の拝観で見落としたところをもう一度見て回りたかった。 昔話≫良弁と杉
二月堂の真下(通称火の粉かぶり)、良弁杉の右側(南側) ...
奈良と京都の送り火 8.15奈良 その③ 東大寺の鎮守 『手向山八幡宮』
水門町からまっすぐ東へ、東大寺本坊脇を通って吉城川沿いに行くと見事な百日紅の林に出る。 鹿たちもご機嫌のようだ。
左を見るとオレンジの花がぶら下がっている。 これは何だろう? 前回の東大寺訪問では拝観時間を過ぎていたので入ることが出来なかった ...
奈良と京都の送り火 8.15奈良 その② 母なる地下水脈の賜物 『南大門・若草山を借景~名勝・依水園』
一本の川が春日山より流れ出し、水谷神社を経て、南大門の南側を横切り水門町へ。 そして水門町にてその左岸が「吉城園」、そして右岸が「依水園」となる。
名勝 依水園(いすいえん) ≫公式サイト
名の由来は諸説あり、池が吉城川の水に依っているためという説や、然 ...
奈良と京都の送り火 8.15奈良 その① 母なる地下水脈の賜物 『水の庭~吉城園』
8月15日は奈良で大文字送り火にて戦没者の方々を慰霊し、氷室神社の「氷献灯」、春日大社「万燈籠」、東大寺「万灯供養会」そして翌日16日は京都・嵯峨野にて五山送り火の一つ「鳥居」を、そして広沢池で燈篭流しを目にご先祖様を供養する。 今回は欲張りなそんな旅。
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第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 最終章 『壷阪の龍神様』
圧巻の大石堂へはこの階段を下りて門を右へだった、帰路は左に出て進んでいくことになる。
左に出ると広い舞台のようになっていてベンチが置かれ、建屋があるが詳細は不明。
この小さな三つの祠は只今問い合わせ中にて、判明し次第追記することに ...
第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 その⑦ 『インド石窟寺院スタイル~日本唯一・大石堂』
大観音石像エリアから下って来ると見えてくるのが、今から向かおうとする「天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)」だ。 横の壁画は鶴のような鳥のレリーフが碁盤の目のように張り合わされているが、これが重要文化財/奈良国立博物館寄託の「鳳凰文せん」のいレプリカだ ...
第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 その⑥ 『インドより渡来の大仏たち~絶品風景』
スロープを上がるともう見えている、というか大観音石像は壷阪寺のどこからも見えるが、この横たわる涅槃像が右手に見下ろす、そして大観音像を左手に見上げる様は圧巻だ。 涅槃像の向いている方角にニ上山がある。
涅槃像の前に回ってみた、うしろに見える ...
第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 その⑤ 『石像仏伝図~世界の仏足石~天竺門』
仏伝図レリーフと世界各地の仏足石が順に並んでいる。釈迦の前世から涅槃までが10面に分けて彫刻されている。 まずはレリーフを順を追って見てみよう。
1.前世
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第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 その④ 『禮堂(れいどう/重文)~八角円堂~壷阪伝説』
慈眼堂、三重塔、中興堂、行者堂エリアからデザインされた石畳を北へ、いよいよ禮堂(れいどう・らいどう) 国指定重要文化財、そして八角円堂。 左手の緑は山吹だ。 詳細≫境内御案内⑩、⑪
禮堂 国指定重要文化財(再建 室町時代) 入母屋造り・本瓦葺 ...
第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 その② 『大釈迦如来石像~多宝塔~灌頂(かんじょう)堂』
手水舎に向かって右隣にある天竺渡来・大釈迦如来石像の一団。 真後ろは慈眼堂、左奥は三重塔、右手奥は天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂) 詳細≫境内ご案内⑤
大釈迦如来石像前を振り返ると、ごらんのようにヤギとカエルとお坊様
手水舎に ...
第五回・第二部 勝者と敗者の聖地 明日香~高取町壷阪編~寺は壷阪 その① 『明日香の八咫烏大明神~壷阪寺へ』
第五回の「勝者と敗者の聖地シリーズ」の後半は、前日のならまちエリアから移動して、明日香~高取町壷坂を歩いてみた。 よって記録は第五回を二部構成にしておく。
八咫烏とは足が3本あリ、太陽を象徴し熊野の神の使いだとされる伝説上の鳥である。 詳細≫八咫烏 宇陀 ...
第五回・第一部 勝者と敗者の聖地 ならまち編 最終章 『県庁屋上の夕景~なら灯花絵・2011』
事あることに開放してくれる奈良県庁屋上。 この日も近衛兵のように任務に忠実な警備員が四隅で見守ってくれる中、ファミリーもカップルも、一人旅
の人も、すがすがしい気持ちになれたはず。 この一枚は県庁から南を見た、興福寺の五重塔にはるか明日香を望む。 お月 ...
第五回・第一部 勝者と敗者の聖地 ならまち編 その③ ~ならまちの外周を歩く 『ならまちの百日紅たち』
なら燈花絵にそなえて、少し早めに駐車場に停めてしばし散歩を楽しむ。 あとでたっぷり歩くんだけど、その前にすでに歩きすぎてしまった(笑) そんな折にこんな案内板が...
「不審ケ辻子町」
ならホテルの南西の辺りにある町。 古い町並みが続く古都のムード満点 ...
第五回・第一部 勝者と敗者の聖地 ならまち編 その② ~大安寺鎮守・元岩清水 『大安寺八幡社』
大安寺から真南に位置する「八幡神社」。 表門横の石柱には「元岩清水八幡宮」と刻まれている。 元は大安寺の鎮守で大安寺八幡宮と呼ばれていた。
斉衝2年(855)に行教が豊前国・宇佐八幡宮から勧請、京都の男山に「岩清水八幡宮」を創起したのはその後、貞観2年(8 ...
第五回・第一部 勝者と敗者の聖地 ならまち編 その① ~南都七大寺 『癌封じの寺・大安寺』
南都七大寺 癌封じ祈願 高野山真言宗 『大安寺』 公式HP
東大寺、西大寺と並んで南大寺とも通称されていたという大安寺の起源は、聖徳太子が今の奈良県大和郡山市に建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)であり、これが移転して、「百済大寺」(くだらのおおてら、くだら ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 最終章 ~奥明日香をゆく 後編 『栢森(かやのもり)・加夜奈留美命神社』
古事記にも日本書紀にも登場しない神「加夜奈留美命」 、そして明日香村史も全く不詳の神社であると記しているというこの神社。 やはり好奇心が沸き起こる。
栢森(かやのもり) 加夜奈留美命神社
以前参拝した「飛鳥坐神社」と共に、古代日本の歴史上重要な神社だと ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その⑩ ~奥明日香をゆく 中編 『栢森(かやのもり)と芋峠』
奥明日香の道を進むとその先は吉野町に続く。 歴史のロマンに浸るにはここを行くしかない。 詳細≫吉野歴史資料館レポ(吉野がわかる)
桜井明日香吉野線を南へ
飛鳥川上流(行者の川)にそびえる杉と、数分でいきなりのこの風景
気持ちい林道
両側の杉に ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その⑨ ~奥明日香をゆく 前編 『祝戸~稲淵~栢森(かやのもり)』
石舞台の少し先で左手「多武峰」右手「吉野」という三叉路に出る。 この旅の終盤は、かつて持統天皇様をはじめ数々の天皇様が吉野・宮滝宮に行幸の際、歩かれた道を走ってみる。 俗に言う「奥明日香」と言われる場所である。
右折してすぐは「祝戸」という場所、このあたり ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その⑧ ~桜井市吉備 『日本初の国立寺・飛鳥時代最大の百済大寺はここに』
日本初の国立寺院「百済大寺」については謎のままであったが平成10年に、高さ100m級と推定される塔(九重の塔)の壇跡が見つかり、百済大寺は吉備池廃寺で間違いないと発表された。 すべてが解明されれば飛鳥時代の寺院として最大級となる。 詳細≫百済大寺と吉備池 ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その⑥ ~橿原市 『ルーツオブ薬師寺・本薬師寺跡』
西の京の薬師寺、元はといえばこの地「藤原京」にあった。 そして西ノ京に移転した後も、藤原京の薬師寺はその伽藍の一部を残したまま、平安時代前期までは存続していたという。
すぐ横(写真右手)の空き地に車を停めることが出来る。 この植え込みの ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その⑦ ~橿原市 『日本史上最初で最大の都城・藤原宮跡』
900m四方の広大な緑は、大和三山のほぼ真ん中に位置する。 周囲にたくさん駐車場があるが橿原市藤原京資料室(現在地マーク)に停めて徒歩で東に向かう。
この位置は天皇が住まわれていた内裏の真ん中~大極殿よりにあたる。 この写真を撮っている後(北側) ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その⑤ ~仏教伝来・蘇我氏の地 豊浦 後編 『豊浦を歩く』
豊浦という地は飛鳥の西側、飛鳥川の左岸にある。 豊浦に『豊浦寺』あり、日本最初の寺(創建年の解釈によっては飛鳥寺に次ぐ2番目のお寺となります)とも呼ばれ、飛鳥五大寺の一つにも数えられた。
「日本書紀」の記述では、552年、百済の聖明王から金銅の釈迦仏などが献上 ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その④ ~仏教伝来・蘇我氏の地 豊浦 前編 『甘樫の丘の夕景~甘樫坐神社』
かつては「神なび」として神の宿る山とされ信仰された場所「甘樫の丘」。 このあたりは豊浦といい、かつて蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が屋敷を構えていた場所。 飛鳥寺の西、川原寺から見れば北に当たる。 駐車場は二箇所あるが南側の駐車場が無料なのでそちらを利用しよう ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編 その③ 『亀石,天武持統天皇陵,鬼の俎・雪隠,猿石』
橘寺から西へ数分
川原を後にして野口に入る
天武・持統天皇陵、檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ) とも野口王墓とも呼ばれる
参考≫天武・持統天皇陵
刈り込まれた木の後から外周を回る細い道が...
ほぼ一周したあたりに咲 ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編その② 『聖徳太子生誕の地 橘寺 後編』
橘寺境内の親鸞聖人像の後から真北の「川原寺」と7世紀中期の斉明天皇が営んだ「飛鳥川原宮」跡地を望む。参照↓
土蔵 ⊳橘寺 境内図刈り込みのきれいな木と、漆喰がの剥がれた土塀がいい味を出している。 土蔵の裏側
三光石阿字池
橘の花を象ったと言われる五 ...
第四回 勝者と敗者の聖地 明日香村編その① 『板蓋神社~聖徳太子生誕の地 橘寺 前編』
昭和49年(1974年)、川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏(せんぶつ)が発掘された。塼とは土製品を焼いたもの
で、材質
的には煉瓦に近い。川原寺裏山からは、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした三尊塼仏が大量に発掘されて ...
続々勝者と敗者の聖地 ならまち・奈良公園編 最終章~ 『すばらしきかな 円成寺』
奈良市街東方の柳生街道をしばらく走る。 奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)、柳生まではもうわずか、周りにはゴルフ場がひしめく。
忍辱山 円成寺(えんじょうじ) 真言宗御室派(総本山は仁和寺) 本尊は阿弥陀如来
右手に駐車場が見えてくる、その周りを見事 ...
続々勝者と敗者の聖地 ならまち・奈良公園編 その③~ 『ならまち散策 前編 付録‘薬師寺大池のかぎろひ’』
7月12日 早朝 少し足を伸ばして西の京へ
薬師寺を東に、勝間田池(通称大池)から朝のショーを見る
シルエットで浮かび上がる薬師寺西塔と金堂
空が水面に綺麗に写っている
二つの塔と金堂、そしていよいよ来る
二つの塔のちょうど真ん中か ...
続々勝者と敗者の聖地 ならまち 奈良公園編その② 『二月堂の夕景』
東大寺の二月堂からの夕景を観たい。 日没までにはまだ少々時間があるのでのんびりと歩きながら、時おり腰を下ろして鹿たちを眺めたりしながら...南大門あたりはもう何度も来ているので、撮影はしばしお休みということで... 二月堂参道の起点よりスタートする。
二 ...
続々勝者と敗者の聖地 ならまち 奈良公園編その①~都祁の息吹 氷を天皇に献上奉る そして舞楽の源流 『氷室神社』
製氷販売業、冷蔵冷凍庫の守護神。ヒートポンプ、蓄熱技術の守護神。 そして興福寺東山鎮守、南都七郷の産土神。とある。
氷室神社 ≫公式HP ≫由緒
県庁を通り過ぎて東大寺に向かう途中左手にある。
手水舎とうしろの鏡池
手水舎の反対側にある祓所は、 ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編 最終章 遥か伊勢を望む社 『治田神社』
治田神社<はるた神社>は岡寺の向かい、かつての岡寺講堂跡地にある。 近年まで八幡神社と言われており、一の鳥居は岡寺参道の下にある。多くの人々は、きっと岡寺の鳥居だと思っているはず。御祭神は品陀別天皇 素盞嗚尊 大物主神。
岡寺を出ると真正面にこのような神社 ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑨ 日本最初の厄除け霊場~西国7番札所 『岡寺』
天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。 江戸時代までは興福寺の末寺であった。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称する。 御本尊は如意輪観音。西国 ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑧ 『念誦崛不動尊~飛鳥資料館』
談山神社をあとに、明日香に戻る途中「念誦崛不動尊(ねずきふどうそん)」というのがあると聞き、行ってみることにした。 県道155から北へ「北山林道」に入る。売店の叔父さんの話によると桜井まで降りれると言うことだが、今回は冒険はせずにおいた。
北山林道に入って ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑦ 『藤原氏の聖地 多武峯 談山神社 後編』
権殿の西側に小さな祠が並んでいる、それらの神々をみてみよう。 最初は目を惹く祠「比叡神社/御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)」。元々あった場所「飛鳥の大原」とは鎌足公の生まれた場所と言われており、この旅の最初に訪れた場所、明日香村小原(おおはら)のこ ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑥ 『藤原氏の聖地 多武峯 談山神社 中編』
神廟拝所のあるエリアから一段高いところに権殿(平成23年5月1日修復終了)がある。 本殿は只今修復中(平成24年春修復完了予定)のため、ご進退はこの権殿にいらっしゃいます。本来は「マダラ神」が祀られていて芸能・芸術、魔除け・厄払いにご利益があるとされている。⊳ ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編その⑤ 『藤原氏の聖地 多武峯 談山神社 前編』
7月5日早朝は雨、スタートは遅らせて朝の散歩も中止、藤原氏の聖地「多武峯(とうのみね)」に向かう。その途中「石舞台」を道を挟んだ丘の上のベンチに座って観る。ここいいよ、お勧め。
よーく見たら、石舞台って龍の頭に似ているなぁ。意識して造ったのかもしれない ...
続 勝者と敗者の聖地 明日香村編その④ 『飛鳥最大 大官大寺~悲運の寺 山田寺』
大官大寺
飛鳥京
官の四大寺の二つ目のこの寺も謎が多く、研究者の意見も定まらない。熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)>「百済大寺」(くだらのおおてら、くだらだい
じ)>「高市大寺」(たけちのおおてら、たけちだいじ)>「大官大寺」(だいかんだいじ)と名前が移 ...